2016年7月21日木曜日

「どうするのがよいのですか?」その3(合意形成)

価値観が異なる人どうしが相談してものを決める。「合意形成」は、自然再生の目標設定に限らず、日常生活から社会活動までいろいろな場面で必要になる。

これまでいくつもの合意形成の場面で、成功や失敗の経験をした。

合意形成のポイントは「価値観を変える」ことだと思う。自分が絶対と信じていたことを他人の意見や新たな事実をとりいれて見直す。よい合意形成は、異なる価値観の最大公約数を見つけることではなく、自分の価値観を見直すことで実現する。

下の図のようなイメージ。グラフの横軸は、「ヨシ原にするか田んぼにするか」「樹林にするか草原にするか」「開発か保全か」なんでもいい。縦軸は青い価値観の人、赤い価値観の人それぞれの満足度を意味する。

左の図では両者が合意できる解をみつけるのは困難で、仮に見つけられたとしても両者にかなり不満が残る。右の状態では、両者が高い満足を得られる答えが見つけやすい。

左の状態も右の状態も、青の人は横軸の値が小さいような状態が好きで、赤の人は横軸の値が大きいほうが好きという基本的な「思想」はかわらない。しかし、中間的な段階への評価が大きく異なる。

この図の教訓は、「考え方を少し変えればハッピーな合意形成が実現する」「両極端のみを意識して主張しても合意できない」ということだ。

左のような関係から右のようにする過程が「合意形成」の肝だとおもう。この変化に役立つのは、丁寧に相談できる雰囲気、謙虚な気持ち、客観的な情報。「科学的知見」はこの場面でも役に立つと思う。合意形成における研究者のもっとも重要な役割は、そのような情報の提供だと思う。

2016年7月20日水曜日

保全生態学の3つのパラダイム

保全生態学のパラダイムは、「自然保護の時代」「生態系管理の時代」「レジリエンスの時代」にわけると理解しやすいように思う。これらは誕生順にならべたが、前の概念が古いものとして否定されたわけではなく、後のものが付け加わってきた。その意味では、「パラダイム」という言い方は適切ではないかもしれない。「モデル」と呼べば無難だが、個々の研究ではなく研究の「流れ」に影響する概念モデルという意味で、パラダイムと仮に呼ぶ。

生物多様性の位置づけも変化した。自然保護パラダイムでの「生物多様性」は、漠然とした存在だった「急速に失われているもの」「残したいもの」を一言で表す便利なことばとして流布した。生態系サービスのバランスと持続性を考える生態系管理のパラダイムでの「生物多様性」は、サービスを生み出す源泉として位置づけられたが、同時に、生態系の機能・サービスの生成機構を研究するほど、生物多様性そのものの必要性はあいまいになるジレンマがあった。端的に言えば、生態系の機能にとっては、希少種よりも普通種の方が重要なのだ。たいていの場合。

レジリエンス重視のパラダイムでは、外力をうけてもやがて元の状態にもどれる生態系が目標とされる。レジリエンスの高いシステムがもつ一般的な性質についての議論も進んでいるが、「撹乱後の復活」という長期的な現象の探求は難しい。レジリエンスの高い生態系の姿は、順応的に追求することになる。

順応的管理には、出発点となる仮の目標の設定が必要となる。「長い年月をかけてその場所に残ってきた生態系はレジリエンスが高いのではないか」という仮説を元に目標を設定するのは、賢明な態度だろう。歴史的な産物である地域の生物相と生物間相互作用を重視する。これは生物多様性保全そのものである。

生物多様性は、一週回ってふたたび「目標」としての価値を帯びてきた。

「どうするのがよいのですか?」その2

ヨシ原になればセッカ類やカヤネズミが暮らせるようになるがコウノトリは採餌できない。ヨシを刈り取って田んぼのような場所を作ればカエルが増えてひょっとするとコウノトリも来るかもしれないがカヤネズミは営巣しない。多様な生物の暮らし場所は(局所的には)両立しない。その場所で何を目標にするかによって最適な管理はかわる。

何を重視するか、つまり価値観は人によって違うし、同じ人でも受け取る情報によって変わる。絶対的な価値観はない。「生物多様性を保全する」も価値観のひとつである。

研究者も価値観をもっている。それを表明していけないということではない。自分の価値観であることをはっきりさせた上で、ということが重要だろう。研究者以外の人とはちょっと違う視点からの「意見」は役立つことも多いかもしれない。

しかしその意見の表明は、科学からの情報提供とははっきり分けられるべきだ。科学からの情報提供とは「○○をしたほうがいい」ではなく「△△な状態にするためには○○をすることが効果的だと予想される」という形でなされるものだと思う。この「・・ためには」の内容は、価値観のかかわる命題で、合意形成が必要な部分だ。(つづく)

2016年7月19日火曜日

「どうするのがよいのですか?」

いろいろな地域で、市民の方といっしょに休耕田に池を掘ったり、河川や水路の手入れをしたりする機会が増えている。そこでかならずいただくのは「草は刈ったほうが良いんですか?」「池は深いほうがいいんですか?」「川と池はつないだほうがいいですか?」という類の質問である。

このようなご質問をいただくと、わたしはいつも「どうしたいですか?」とうかがっている。どんな湿地にしたいかによって、管理の方針が変わるからだ。すると「それを先生が決めてくください」というお答えをよくいただくことが多い。「私たちは、言われたようにやりますから」といわれたこともある。

そうではない。自然再生の目標は科学では決められない。目標は、その場所の将来に興味のある人たちが相談して決めるものだ。科学にできることは、その目標を実現するに適切と思われる方法(順応的管理の出発点になる仮説)を提示したり、いまのままだと将来どのように変化するか予測することだ。

目標設定は、価値観のかかわる命題である。科学が答えをだすものではない。(つづく)

2015年7月25日土曜日

もっと「使える」保全生態学を目指して

(以下、Facebook に投稿した記事の転載です。)

このたび、日本生態学会の雑誌「保全生態学研究」の投稿規定が改訂されました。今回の目玉は「投稿資格の変更」です。これまで、論文の筆頭著者が日本生態学会の会員である必要がありましたが、これからは「著者の一人以上が生態学会員であればよい」ことになります。

この変更は、「生物の保全にかかわる市民・NPO・コンサルタント・行政などの方が中心になって調査結果や活動成果をまとめ、研究者がそれをサポートして論文にする」という形を奨励する意図があります。保全生態学研究では、以前から、原著論文だけでなく、他の地域で参考になる取り組みを紹介する「実践報告」や、貴重な調査報告を残す「調査報告」といった投稿カテゴリーを設けていますが、今後はこれらの報告がますます活性化することを期待しています。「こんな記録をしているんだけど論文になるかな?」というご相談も受け付けております。

基礎科学は英語中心で発展していますが、応用科学では、多様な「現場の人」が使いやすい日本語の論文にも大きな価値があります。保全生態学をもっともっと「使える科学」にしたいです。

ちなみに応用生態工学会の雑誌「応用生態工学」も、先月から、「第一著者あるいは連絡対応著者(corresponding author)が学会員であればよい」という形に規定変更して、以前よりも門戸を広げています。

これらの分野では、わかったことを論文にして公の知識にする「公表の文化」、政策や戦略を策定するときは査読付き論文を活用して文書中に明示する「引用の文化」の両方がまだ未熟です。もっともっと読み書きをがんばりましょう!

保全生態学研究投稿規定はこちら