2008年6月19日木曜日

中村良夫「湿地転生の記-風景学の挑戦」

古河公方のゆかりの「御所沼」。近代化の中で埋め立てられ、地域から忘れられてしまった沼を公園として再生させた取り組みの話題を中心に、「風景の再生」について述べた本である。



前半(1~3章)は、関東平野の氾濫原と「谷戸」の原風景、その変化について述べられている。この描写が圧巻で、沼に引き込まれるみたいに一息に読んだ。

「古河はまた水の町でもある。
平べったい野辺のいたるところに小川が流れている。その毛細血管のように細い、込み入った流れが、ときに沼へとけ込むかとみれば、また流れ出て、たがいに交じり合いながら、おしなべて渡良瀬川に落ち込んでいく。」

古鬼怒湾と古東京湾の時代から始まる地史の詳細な解説から、古事記の引用も交えて、関東平野の原風景がわかりやすく述べられている。その文章の美しいこと!

「水あって河道なく、川あって幹流なし。後の世に利根川、渡良瀬川と呼ばれる八百八筋の彼方に、火山の噴煙がいく筋もたなびいていた。古墳時代の人々を、大地の縁に立って、はるかなる蒼茫の地をどんな気持ちで眺めただろう。それは、容易に近づけぬ聖地ではなかったろうか。この時期の関東人にとって、中原の大湿地もまた大山高岳と同じ遥拝の地であったように思えてならない。」

怖ろしくも慕わしい川や湿地、というイメージが本当に見事に表現されている。写実だけの表現では伝わらない、自然を前にして感じる畏怖とか、歴史を知ったときに感じる重みとかいった感情が見事に伝わる文章と構成。

「狂った水圧を押しとどめようと、うち震える土手。その上に立つわたしの顔に、泥流のしぶきが飛び散る。それが下流に走るかとみれば、また上流に向かって逆巻く。-膨らんだ利根川の水に、押し戻されてくるんだ・・・。」

もう降参。一文も隙がない感じ。

後半では、公園として沼を再生させた取り組みが解説されている。その精神は「自然再生事業」と通じるものがある。

「物静かで、そしてうつろいやすい里山。その自然には人間の刻印が打たれ、そこに棲む人間には自然の影が映っている。里山に混じって暮らす人は、その山野の姿に自分の命を重ねるだろう。人々がこの風土的様式の崩壊におののくのは、自分のアイデンティティがそこにかかっているからに違いない。」

機会をつくって御所沼を再生した公園(古河総合公園)に行ってみようと思った。ただ、この本で感動したからといって、公園に過剰な期待はしていない。それはこの本が誇大広告という意味ではない。今のわたしはきっと、水ぎわに顔を近づけて珍しい植物をさがして評価してしまい、ここの「売り」であるはずの施設のたたずまいや「名所」としての要素を、楽しむことができないだろいう、ということである。

とにかく面白かったー。また読み返すに違いない一冊。氾濫原の自然とヒトの生活に興味のある人はぜひ読むべし。