2008年6月27日金曜日

大原幽学

利根の変遷と水郷の人々(鈴木久仁直著、崙書房、1985年)を読んでいる。
利根の変遷と水郷の人々 (ふるさと文庫 (123))
いろいろと自分の故郷についての知識が増えて楽しい。

千葉県旭市・干潟町で農業指導・農村指導を展開した大原幽学は干鰯の使用を戒めた。全国的な干鰯の産地、銚子と九十九里がすぐ隣にあるのに、である。草や堆肥を使うように指導した。干鰯を使えば生産性があがるのは明らかである。しかし施肥という農業の本質的な部分への商品経済の侵入を拒否した。干鰯を買い入れた農民は、天候不順で不作だと肥料代も払えない。不作が続くと水田を抵当に持っていかれるからである。

幽学は次第に門下生を増やし、北総の農村復興に大きな貢献をしたが、それが幕府の疑心をまねき、教場は取り壊され、本人は100日間の謹慎処分となってしまう。謹慎があけて戻ってみると、指導してきた村々が旧態にもどってしまっていた。嘆いた幽学は門人への遺書を残して自刃する。

そういえば、私が通っていた小学校の会議室(?)に大原幽学の肖像画があったっけ。なんだか幽霊みたいな名前だな、くらいにしか思っていなかった(ヒドイ・・)。偉い人だったんだねぇ。

この本で一番インパクトがあったのは利根川東遷をめぐる事実や解釈の記述だった。そのうち、メモを作ろう。