2008年6月20日金曜日

氾濫原の水田は遊水地に

「利根川東遷の立役者となった関東流の治水思想は、洪水を肩すかしさせるやり方である。美田の増加を念頭に置きながらも、自然の流れにあまりさからわず、霞堤や越流堤によって、川沿いの沼地や湿地に洪水を遊水させながら水路と水田を開き、生産性の高い下流に、河水があふれないように工夫するのである」(中村良夫「湿地転生の記 風景学の挑戦」)

折りしもこの本を読み終えたその日の新聞記事に「水害にスーパー堤防整備 温暖化対策、初の報告書」とあった。

ますます大型化する台風、上昇する海水面。高まる氾濫のリスクに対して「力には力で」というのがこの(現代の)方針である。しかしスーパー堤防を増やすことには途方もない資金がかかるだろうし、大規模な自然破壊が必要になるだろう。氾濫原に「丘」をつくるようなものなのだから。

対して、いわば河川周辺の水田(=一種の湿地)を洪水時の遊水地として使う「肩すかし」方式は、その年は米の生産が落ちるとしても、氾濫で運ばれてくる栄養塩を含んだ土砂が供給され、施肥量も少なくてすむなどのメリットもあるんじゃないないなかぁ。生産の減少を補償したとしても、「スーパー堤防」より安いのでは?水田や水路などの場が、氾濫原の生物のハビタットとなるのは間違いないだろう。

こういう「しなやかな対策」は検討されているのだろうか。