三方湖での調査を終えた。
さぶかったよー。霞ヶ浦での調査の帰りだったら、ぜったい「マックスコーヒー(ホット)」の気分である。でも福井では売っていないので中途半端に甘く・苦い普通の缶コーヒーで我慢。マックスコーヒーは練乳入り甘さmaxのコーヒーで、子供の頃から身近にあったので知らなかったが、利根川中下流域限定らしい。
三方湖では漁師の方と「ヒシの増殖」についてじっくり話す機会があり、とても有益だった。「ヒシは善か悪か」に単純化してしまう議論の展開に、はっきりと疑問を呈しておられた。やはり日常的に湖に出ている方は、時間をかけて話すと多くの点で共感しあうことができる。ものごとを総合的に捉えるということでは、生活者の視点のほうがたいていの研究者よりもはるかに優れている。
先日参加したセミナーで、特定の専門家が生態系管理や自然再生で主導権をもつと碌なことがない、という言葉をきいたが、それは当たっていると思う。
もちろん、自然をじっくり見ている「生活者」の判断が常に正しいわけではない。「思い込み」というのは誰にでもある。過去に経験したことへの対応なら、(根拠が薄弱でも)感覚的判断でだいたい問題ない判断ができるが、新しい事態に直面したときに「思い込み」で判断してしまうと大きな失敗があるかもしれない。
「思い込み」の落とし穴は、客観的データを示すことが商売の研究者にも、常に存在する。データ自体は客観的でも、研究のフレーミングや結果の解釈の段階で、とても偏ったメッセージを発してしまうことがある。研究者の視野は(もちろん自分も含めて)たいていとても狭い。
研究者がもつ「狭さ」の社会への弊害を回避するカギはコミュニケーションだと思う。現場に軸足をおく研究者は、異分野の専門家や、究極のジェネラリストである「生活者」と、よいコミュニケーションができる必要がある。
生態系管理や自然再生のあり方の議論では「合意形成」の重要性と難しさがいつも話題になる。合意形成のカギは、参加する人が「自分の考えを変える覚悟」と「思い込みを思い込みと認める覚悟」を持つことにあるように思う。謙虚さと言っても良い。もちろんその必要性は研究者にも(研究者にこそ)あてはまる。
謙虚な人を相手にして謙虚に成るのは割合と容易である。でも謙虚でない人をあいてにしても謙虚さを貫き、かつ自分の考えと他人の意見を柔軟に取り入れたアイディアを考え続けることは、簡単ではない。そういう粘り強さが、まだ自分に足りていないと思っている。