2009年8月28日金曜日

学力調査の記事

朝日新聞の一面に「応用問題が苦手 変わらず」という記事が出ていた。「この記事おかしい」妻が言うので読んでみると、たしかにヘンだ。

国語や算数で、知識を問う「A問題」と知識を応用する力をみる「B問題」を出したところ、たいていA問題の平均点が低かった。だから応用問題が「苦手」という主張である。応用力に力点をおいた授業を進めてきたはずなのに効果が出ていない、とも述べている。

Aが基礎知識、Bがその基礎知識の応用、なのだから、AよりもBの成績が悪くて当たり前じゃないでしょうか。知識がないのに応用ができたらヘンじゃないのかな?授業の改善効果をみたいのだったら得点の絶対値の比較ではなくて、B/Aみたいな指標の変化をみた方がいいんでない?

目的が不明瞭な調査の結果から無理に何かを言おうとして、おかしな解釈をしてしまったのだろうか。

2009年8月27日木曜日

8月の豊岡

8月24-26日は豊岡へ。
調査地にしている放棄水田には、春先にはコウノトリが頻繁に来ていたがこの季節はあまり来ないようだ。やはりオタマジャクシが目当てだったのかな。

夜はシカのライトセンサスを初めて経験した。あまりの密度に驚愕。同行してくださったM先生の感触では、1km^2に100頭強はいるだろうとのこと。M先生と話ができたおかがで、いろいろと新しい研究のアイディアを得て、とても有益な調査だった。

とはいえ、豊岡での仕事は当面は研究よりも教育(学生実習)が第一目的。一ヵ月後の本番に向けて準備を進めなくては。

2009年8月16日日曜日

仕事のBGM

ジャズが好きなので、仕事をしているときも休んでいるときも、いろいろと聴きます。

仕事をしながら聴くのは、演奏者が楽しそうにしているものでなければいけません。いくらメロディーが美しくても、苦しそうな声をあげながら演奏するキース・ジャレットや、重いメッセージを込めて吹くジョン・コルトレーンは向いていません。私にとって、仕事を後押ししてくれるジャズミュージシャンの代表は、オスカー・ピーターソンとミシェル・ペトルチアーニです。

いま嵌まっているのはこれ。


最初のトラックに入っているMedley of My Favorite Songsを聴きながらだと、日本語の文章書きやデータ解析は滑らかに進むような気がする。

ただし英語の論文を「書く」ときはジャズはあまり聴きません。調子に乗りすぎて、独りよがりな文章になるからです。論文書きのときに聴くのはバッハが一番。整然として緻密な感じが、論文書きにぴったりだと思います。

2009年8月5日水曜日

上海(おまけ)

「食べ物の提供」はもっとも基本的な生態系サービスの一つである。今回訪問した太湖周辺の湿地帯では、地域でとれる色々な生き物を食べるという文化がしっかりと残されていた。ほんとうに多様な湿地性の動植物を食べ物として利用している。つとめて地元らしいものが食べられるところで昼食や夕食をとったが、植物ではヒシ(トウビシ)、ハス、マコモ、オニバス。動物はもっと多様だ。魚類学者の鹿野さん、中島さんが教えてくれたので、いかに様々な魚を食べているかがわかった。オオタナゴ、ギバチ、ワタカ、ギギ、ドンコ、タウナギ、シラウオ、フナ、コイ、ナマズ、コクレン、、、魚以外ではウシガエル、テナガエビ、モクズガニ、カモ。これらは、どれもこの地域の田んぼの水路や小さな川に生息している生き物たちである。


日本の水郷地帯でも、かつては様々な湿地の動植物が食卓にのぼっていたのだろう。いろいろな生物を直接利用していれば、自然の変化を、もっと多くの人が敏感に感じることができたかもしれない。食べ物が流通の範囲が広がり輸入も増えるのと同時に、人々の地域の自然への関心が薄れ、水田はイネ以外の生物の生息を許さない環境に改変され水質の悪化や水辺の開発で野生の動植物が急速に失われるのと同時に、地域の生物を食べたくても捕ることができなくなってしまった。

「豊穣」という言葉は、低地の湿地がもつ本来の特徴を現すのにぴったりだと思う。過剰になり過ぎない栄養塩が細粒土砂とともに洪水によって運ばれ、堆積し、高い一次生産によって多様な生物が支えられ、かならずしも透明ではない水から、様々な生き物が湧くようにとれる。

治水、利水、圃場整備といった、自然の特定の機能だけに注目した管理によって、多くの生物が絶滅し、人間も豊かな恵みを享受することができなくなった。豊穣の氾濫原を再生させることが、これからの日本でどうしたらできるだろうか。

2009年8月4日火曜日

上海2日目(8/3)

二日目の行き先は太湖と長江の間に無数にある大小さまざまな湖沼、それらをつなぐクリーク、水田といった、湿地帯である。

日本で過去30年間に起こった環境の変化が、この地域では5年間くらいの間に生じつつあるように感じた。日本がたどった湿地の生物の喪失の道を、おそらくそれよりも早く走ってきているという印象だ。まだ日本ほどは喪失が進んでおらず、この一日だけでも、クロモ、イバラモ、フサモ(or ホザキノフサモ)、コウガイモ、マツモ、ササバモ、シャジクモ、イトイバラモ(or オオトリゲモ or トリゲモ)といった沈水植物を湖の中でみることができた。しかし、アオコが発生している湖も多く、いくつかの湖では、沈水の切れ藻や、サンショウモやオオアカウキクサといった日本では絶滅危惧になっている浮遊植物とアオコが岸辺に吹き寄せられている光景がみられた。水草優占の湖から植物プランクトン優占の湖へのレジームシフトが生じつつあるところということだろう。霞ヶ浦では1970年代後半から80年代初頭にかけて、このような状態だったのではないだろうか。


湖岸はコンクリート化されてはいるが、霞ヶ浦などとは異なり、高い堤防は築かれていない。李先生によると治水上の問題はそれほど無いとのこと。では何のために護岸しているのだろう。洪水の心配はなくても、道路などの人工物を近くに作ってしまった関係で、侵食は防止したいのかもしれない。また、このようにコンクリート化して、その陸側に遊歩道を設けるようなデザインが「近代的」ととらえられているのかもしれない。

いま日本のいくつかの湖沼では、過去の開発で失われてしまった植生を再生させるために大きなコストが投入され始めている。これは必要な努力だが、この地域では、なんとか劣化を食い止め、保全することが緊急課題だと思った。すでにいくつかの湖では手遅れ(カタストロフを起こしている)かもしれない。しかし、幸いにしてまだ一年生の沈水植物もそれなりに見られる場所もある。ホットスポットを抽出し、保全を進めることが何にもまして重要だと思った。

しかし、ほとんどの湖で湖岸がコンクリートの直立護岸になっている。保護区として重視している場所も、沈水植物を残す努力はされているが、抽水植物帯が失われていることには注意が払われていないようだ。生物多様性の視点が、まだ十分ではないのかもしれない。ご案内をしてくださった李先生と、エコトーンの重要性と、この地域で再生させる手法について議論した。


今回の旅で、湖とともに楽しみにしていたのは、田んぼを見ることである。日本の低地水田稲作のルーツであるこの地域では、田んぼや水路にどんな「雑草」が生えているのだろうか。圃場整備や農業の近代化で日本からは失われてしまった植物が、この地ではまだ残っているのだろうか。それとも農薬の使用は盛んなようだから、もう失われてしまっているのだろうか。

答えは、除草剤が使われている田んぼは水田の水路も含めて見事に雑草が無いのに対し、そうでない田んぼには日本では絶滅危惧になっている「雑草」がたくさん生えていた。除草剤の散布は、畦の草が黄色くなっているかどうかで判断できる。畦草が緑の、おそらく除草剤がほとんど使われていない田んぼは、全体としては稀だった。しかし、そのような田んぼでは、サンショウモ、ミズオオバコ、ミズマツバ、キカシグサ、シャジクモ、ミズワラビ、コナギといった植物がイネと混生し、水路にも2m間隔くらいで大きなミズオオバコがみられ、クロモやマツモなどの沈水植物もみられた。このような田んぼは、米を生産できる一方で、氾濫原の生物にとっての生育場所ともなっている。耕作のしかた次第では水田は自然破壊ではなく、氾濫原の生物保全になるとは言われているが、本当にそうなのだということが実感できた。たまたま見つけた「雑草豊かな」田んぼでは、草取りをまめにやっているのか、これらのイネ以外の植物がみられるのは主に畦の際に限られていて、イネが抑圧されているようには見えなかった。

2009年8月3日月曜日

上海1日目(8/2)

関東平野で氾濫原の自然を再生させることを目標に仕事をしている私にとって、日本の低地水田稲作文化のルーツといわれる長江下流域は、もっとも生きたい外国の一つだった。上海行きは二度目だが、前回の訪問は12月で、しかもセミナー参加が主目的だったので、8月に長靴と胴長を持参してフィールドワークに参加する今回の旅行は、実質的に最初の「自然観察」の経験となった。

長江の巨大な氾濫原にある太湖とその周辺の河川や湖沼群が今回のフィールドである。ただし私は九大工学部の島谷教授の研究チームの10日間の調査の最後の3日間だけ参加する形だったので、見ることができたのは、ごく一部だった。しかし、長江河口にある崇明島を訪問一日目、淀山湖をはじめとする長江周辺低地の湖沼群を二日目に見ることができた。この二日間の経験は、氾濫原の自然の理解を深めるのに大いに役立った。

崇明島は長江の河口デルタに発達した中州で、長さ約80km幅約25kmもあり、世界最大の砂洲ともいわれているそうだ。65万人が住む都市であり、それと知らなければそこが島だとは感じられない。島の上流端と下流端に湿地が発達している。上流側の湿地は淡水性、下流側は大部分が塩性湿地だそうだ。この下流側の塩性湿地はラムサール条約登録湿地になっており、クロツラヘラサギをはじめとする多くの鳥の生息場所となっている。

鳥について知識の無い私は、しかし、別の見たい生物があった、Spartina anglicaである。7年前に北京での外来種についての国際シンポジウムに参加した際、中国の複数の研究者がこの植物の侵略性について説明していた。その後、特定外来種法ができた際、まだ日本への侵入が確認されていない唯一の対象種として、この植物が登録された。まだ確認されていなくても、近隣の中国で猛威を振るっていることから、侵入のリスクも、侵入後のハザードの大きいことから対象に選定されたのである。




湿地は長江下流側にあたる東に頂点をもつ二等辺三角形のような形をしており、その北側と南側では環境が異なる。北側は塩性湿地、南側はほぼ淡水性の湿地だそうだ。これは、この島によって長江が2つに分留されており、南側の長江は川幅が広く上流からまっすぐに流れ出てきているために、淡水の押し出しが強いのに対し、北側の長江は細く湾曲した形をしているために、淡水の押し出しが弱く、海水の影響がより強く及ぶためだそうである。

私達がみることができたのは二等辺三角形の中央部、しかも最も陸側の部分だけだったので、Spartinaが特に猛威を振るっているという塩性湿地をみることはできなかった。また、塩生植物が優占する開けた湿地もみることはできなかった。しかし、見渡すかぎりのヨシ原に入り込んだ水路の水際に、見慣れない細い植物が密生している。果たして、Spartina angrlicaであった。淡水域ではヨシが十分によい成長を示すためにこの外来種が優占するのは局所的になるが、ヨシの勢力が弱まる汽水域では、相対的にSpartina有利となるのかもしれない。日本への持込み第一号にならないように、気をつけて長靴を洗い、現地をあとにした。

崇明島には農業用の水路や運河として利用されるクリークが巡らされている。何箇所かに入ってみてみたが、水中にはマツモやトチカガミがみられるものの、水辺はほとんどの場所でナガエツルノゲイトウの群落が認められた。南米原産の外来種であるこの種は、今回の上海調査を通じて、至るところで目にした。日本では印旛沼などの湖沼で大繁殖し、かなりのコストをかけた駆除が行われている。流れの緩やかな富栄養な水の水辺が生育適地らしい。

そのナガエツルノゲイトウが繁茂する「水田」がいくつもみられた。イネは20m四方ほどの水田の中央5m四方ほどの範囲に生えているのみで、その周辺はナガエツルノゲイトウが単独で優占している。最初は、ナガエの侵入でイネが負けてしまったのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。イネが生えている中央部には、ほとんどナガエが混入していないのである。どうも田んぼの中でナガエを積極的に生やしているように見える。




熱心に田んぼの写真をとっている私たちを不審に思った農家のおじさんが通りにでてきたので、同行してくれた同済大学のリャンリャン君に、ナガエツルノゲイトウを育てているのかどうか聞いてみた。その答えを聞いて驚いた。カニのエサだというのだ。えっ!と思って田んぼをみてみると、確かに畦をモクズガニ(チュウゴクモクズガニというそうだ)がカサカサと歩き回っており、畦の上にはカニの脱出を防ぐような柵が巡らされている。切っても切っても再生してくるナガエツルノゲイトウは、草食性のカニには格好のエサになるのかもしれない。直接は食べないとしても、隠れ家としては適しているだろう。カニ養殖のために導入したのだろうか。

どうして田んぼ全部をカニ養殖に使わずに、真ん中で米をつくっているのだろう。島谷先生によると、土地の登記(?)上は稲作用地とされていて、勝手にカニ養殖はできない。特に最近は水質汚染のもとになることでカニ養殖は対する規制は強まっている(太湖では2008年から今年にかけて、カニ養殖が1/5に減らされたとのこと)。どうやら、私達がみたナガエツルノゲイトウを使ったカニ養殖は、「もぐり」の類らしい。

崇明島への往復は大型のフェリーで、片道約1時間半の旅だった。雨だったせいもあるかもしれないが、長江は茶色く濁り、波立ち、対岸は見えず、私が知っているどの川の様子とも違っていた。司馬遼太郎の街道を行く「中国・江南の道」でその描写が印象的だった、波間を跳ね回るような「ジャンク船」を見ることができなかったのが残念だが(もう絶滅したのかな?)。カニの水田漁労をはじめ、刺激的な第一日目だった。