2009年12月26日土曜日

古事記の起源

工藤隆著「古事記の起源―新しい古代像をもとめて」読了。

古事記は物語り全体としての整合性よりも、それぞれの場面場面が何のメタファーなのかを考えた方がおもしろい。以前からそう思っていたので、古事記の起源を多様な口承伝説にもとめたこの本のスタンスはとても納得がいった。古事記の様々な場面には、長江流域の口承伝説だけでなく、インドネシアなど東南アジアの神話との共通性が多く見られるという。

2009年12月20日日曜日

「狂い咲き」の傾向

気候の年変動で、例年とは異なる季節に開花するあるいは展葉・落葉する、といったフェノロジーの「異常」は、野生植物よりも人為導入した外来種や栽培品種の方が多いのではないか、と思うのだが、そんな統計ってあるのかな。その場所で自然淘汰をうけていないぶん弱いんじゃないか、という単純な発想なのですが。
関連のことご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると嬉しいです。

うちの庭ではカロライナジャスミンが咲き始めてしまいました。アジサイは品種によって常緑化しています。

「植物のようにモジュール性の生物の方が、モジュールによってフェノロジーのシグナルにする環境要因が異なるため、中枢神経系で統合されている生物よりも気候変動による適応度の低下が生じやすいのではないか(葉はすっかり休んでいるのに花ががんばってしまうとか)」ということを考えながら、今日は庭の手入れをした。

2009年12月6日日曜日

1/125000のヤハラさん

少し前になるが妻から「ちーがお風呂上りに『ヤハラさーん、ヤハラさーん』と言っていて気持ちが悪いので『それ誰?』ってきいたら、『いつもいっしょに』のうさぎさんのお母さんのことだって。ワケわからん」というメールがきた。「ちー」とはうちの息子(4歳)、「いつもいっしょに」は絵本のタイトルで、うさぎは出てくるがそのお母さんはでてこない。

うちで子供の前でY教授の話をしたことはないから、おそらく何となく面白い言葉として「ヤハラさん」を言っているのだろう。最近、そういうデタラメ語が彼の中では流行っているから。3文字の言葉をデタラメに口にしたとして、それが偶然生態学会長のお名前になる確率は50の3乗分の1か。

2009年12月5日土曜日

「今後の治水のあり方」に「環境」の視点は

八ツ場ダムのことがこれだけ話題になっていても、新聞やニュースでは「住民vs.前原大臣」「建設コスト」の話題ばかりで、環境のコストのことは全くといっていいほど取り上げられいない。これはマスコミは単純な対立図式を描きがちだからであって、国交省ではダムに伴う環境破壊についても改めて検討しているものと思っていた。

しかし実情は、、本当に環境のことは考慮に入っていないのかもしれない。
今週の木曜日に「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」が開かれた。「今後の治水対策について検討を行う際に必要となる・・・新たな評価軸及び総合的な評価の考え方等を検討する」という目的の会議に、生態学の研究者が一人も入っていないというのは。

新しい視点の治水を考えるとき、ある程度の氾濫を許容する社会づくり、水田などの農地の遊水地としての活用、といった視点は欠かせないだろう。この問題は氾濫原を利用する生物の多くが絶滅危惧種になっている事態とセットで議論されるべきなのではないだろうか。

2009年11月29日日曜日

三方湖帰りの車内

三方湖での調査を終えた。
さぶかったよー。霞ヶ浦での調査の帰りだったら、ぜったい「マックスコーヒー(ホット)」の気分である。でも福井では売っていないので中途半端に甘く・苦い普通の缶コーヒーで我慢。マックスコーヒーは練乳入り甘さmaxのコーヒーで、子供の頃から身近にあったので知らなかったが、利根川中下流域限定らしい。

三方湖では漁師の方と「ヒシの増殖」についてじっくり話す機会があり、とても有益だった。「ヒシは善か悪か」に単純化してしまう議論の展開に、はっきりと疑問を呈しておられた。やはり日常的に湖に出ている方は、時間をかけて話すと多くの点で共感しあうことができる。ものごとを総合的に捉えるということでは、生活者の視点のほうがたいていの研究者よりもはるかに優れている。

先日参加したセミナーで、特定の専門家が生態系管理や自然再生で主導権をもつと碌なことがない、という言葉をきいたが、それは当たっていると思う。

もちろん、自然をじっくり見ている「生活者」の判断が常に正しいわけではない。「思い込み」というのは誰にでもある。過去に経験したことへの対応なら、(根拠が薄弱でも)感覚的判断でだいたい問題ない判断ができるが、新しい事態に直面したときに「思い込み」で判断してしまうと大きな失敗があるかもしれない。

「思い込み」の落とし穴は、客観的データを示すことが商売の研究者にも、常に存在する。データ自体は客観的でも、研究のフレーミングや結果の解釈の段階で、とても偏ったメッセージを発してしまうことがある。研究者の視野は(もちろん自分も含めて)たいていとても狭い。

研究者がもつ「狭さ」の社会への弊害を回避するカギはコミュニケーションだと思う。現場に軸足をおく研究者は、異分野の専門家や、究極のジェネラリストである「生活者」と、よいコミュニケーションができる必要がある。

生態系管理や自然再生のあり方の議論では「合意形成」の重要性と難しさがいつも話題になる。合意形成のカギは、参加する人が「自分の考えを変える覚悟」と「思い込みを思い込みと認める覚悟」を持つことにあるように思う。謙虚さと言っても良い。もちろんその必要性は研究者にも(研究者にこそ)あてはまる。

謙虚な人を相手にして謙虚に成るのは割合と容易である。でも謙虚でない人をあいてにしても謙虚さを貫き、かつ自分の考えと他人の意見を柔軟に取り入れたアイディアを考え続けることは、簡単ではない。そういう粘り強さが、まだ自分に足りていないと思っている。

2009年11月14日土曜日

カワコンブの正体

以前にブログに書いた「カワコンブ」、コウホネ類(おそらくナガレコウホネ)の沈水葉ではないかという情報をいただいた。情報を下さった栃木県立博物館のHさんTさん、どうもありがとうございます。

なるほど!と膝を打った。
たしかに見た目は昆布っぽいし、食べられる(地下茎は漢方薬のセンコツ[川骨])。

2009年10月31日土曜日

勝山城址(栃木県)の自然

氏家(栃木県さくら市)の勝山城址にある「さくら市ミュージアム」で講演をさせていただく。
その後、勝山城址の植生管理について相談。城跡はごく最近まで、地域の人が薪をとったり、堆肥のために落ち葉をとったりする共有地として管理されてきたそうだ。廃城になっても地域の生活をまもってきた森をこれらからどう活用するか。そこに生物多様性の視点をどこまで入れられるか。

勝山城は、鬼怒川のなかでも扇状地の河原の自然がもっともよく残されている場所に隣接している。勝山城址と隣接する河川公園の一帯は、うまく計画すれば森の生物から水辺の生物までを含む保全拠点にもなるだろう。これからの議論が楽しみだ。10/31

2009年10月19日月曜日

印旛沼10月


オニビシ調査・種子採集で印旛沼(一本松)へ。
現場に着くと湖岸に枯れたオニビシが累々と堆積していて驚いた。
おそらく、ちょうど枯れかかっていたオニビシが先日の台風で湖岸に打ち上げられたのだろう。厚さは6,70cm、幅20mぐらいで帯状に堆積していた。とんでもない量である。

しかし、台風で打ち上げられなかったらこれがぜんぶ湖の中に沈んでいたと思うと、改めて水草の枯死体による有機物供給量の多さを感じた。

この場所では枯死した水草がヨシ帯に打ちあげられ、分解されていたいが、もしコンクリートの垂直護岸だったら、これらは湖の中に堆積していただろう。護岸の形状は湖から陸への波による物質移動に影響するということに気付いた。

2009年10月14日水曜日

最近・・・

豊岡、三方湖、北海道、鬼怒川と調査や作業が続いて、早稲田の授業もはじまり、あまりに忙しくて書きたいことがあっても書けない。備忘のために一言だけ書いておこう。この間、最も印象に残ったのは日高のフイハップ海岸の改変である。数年前までいろいろな海浜植物、湿地植物がみられた砂丘と後背湿地が、護岸工事や砂の採取のため、見るも無残に破壊されつつある。ほんとうにつらい景色だった。

2009年9月22日火曜日

9月の渡良瀬

9月21日は今年度SPP(サイエンス・パートナーシップ・。。何だっけ?)の連携をしている小山西高校の観察会、20日はその下見で渡良瀬遊水地へ。

オオブタクサとアレチウリの繁茂がとにかく顕著で、観察会でもそれに触れないわけにはいかない。下見に同行した妻によると、妻が通っていた5~10年前と比べて随分増えているとのこと。冠水の減少なども影響しているのかもしれない。渡良瀬遊水地での湿地再生は、外来種対策をよほど重視しないと、単なる治水事業になってしまうだろう。

国交省がやっている試験掘削地も覗かせてもらった。
カンエンガヤツリ、タコノアシ、アオヒメタデ、サワトウガラシ、ミズワラビ、ウスゲチョウジタデといった攪乱依存種が多くみられたのは狙い通りというところか。

ただ全体に乾燥しやすい地形に造成されてしまっているので、セイタカアワダチソウの密度がとても高い。春のうちに周囲に掘ってしまった水路の出口に土嚢を積むなどして水位を上げておけば随分改善されたと思うが、ここまで放置してしまうと回復はだいぶ難しいだろう。


ワタラセツリフネソウを今回はじめて認識。ニホンミツバチが盛んに訪花していたが、ちょっと花が大きすぎるようで、葯には十分には触れていないようだった。やはりマルハナバチの花か。

2009年9月19日土曜日

モニ1000調査

18日は環境省のモニタリングサイト1000の調査のため霞ヶ浦へ。
里地里山、森林、海岸、湿地などの生態系タイプごとに多数の場所で継続的に生物調査を行うものだが、湖沼については今年が一年目である。調査内容が確定する前に調査地を決めるように通達があったりして、おそらく事務局も大変だったのだろう。今年は試行的な年で、実際にやってみた上で調査マニュアルを改善するという位置づけだそうである。

抽水植物帯での調査内容は、主にヨシの調査になっており、単位面積当たりの本数やサイズを測定する。ヨシ以外の植物についてはコドラート内の出現種を記録する程度で、あまり重視されていない。温暖化影響の把握あたりが想定されているのだろうか。沈水植物・浮葉植物の調査は、もう少し生物多様性の評価に直結する内容になっている。全国統一の方法で、ボランティアに近い体制で、長期的に行うということから、おそらく苦労の末に考えられた内容なのだと思う。

このような調査はとても価値があると思う。「昔は普通だったけど、いつの間にか無くなっていた」生き物や風景を、データに基づいて指摘することができる。これからもできるだけの協力はしていきたい。まずはデータの整理がおわったら、熱のあるうちに調査マニュアルの改善提案を整理したいと思う。

2009年9月14日月曜日

日帰りで一関へ

今日は急を要する作業のため、日帰りで一関へ。一日肉体労働で明日の筋肉痛は必至。

そういえば、先週の一関調査でみたこのムシ、何だろう。



サナギだと思ったら歩いた。何かの幼虫かな?想像もつかない。ご存知の方、教えてください。

2009年9月11日金曜日

3日連続の霞ヶ浦通い

9月9-11日は3日連続で霞ヶ浦(浮島)に通い、植生調査、実生の生存率調査、バイオマス測定のためのサンプリングを終了。8月末からのフィールドの連続で、さすがに疲れてきた。学生の頃はどんなに疲れても一晩寝れば回復していたが、最近ダメだなぁ。今月38歳になるのでこれが普通なのかもしれないが。

2009年9月8日火曜日

ソロモンの歌

トニ・モリスン(金田眞澄訳)「ソロモンの歌」読了。

今年読んだ小説で間違いなく一番面白かった。
いろいろな読み方ができる小説だが、ぼくは、閉塞感のある時代や社会に対する3通りの対応を描いた小説として読んだ。3通りの方法の一つは「荒れる」、2つ目は「空に飛んで逃げる」、3つ目は「一度も地上を離れずに飛ぶ」である。3番目の方法はもっとも幸せそうだが、それを実現している人物(パイロット)は、臍をもたない、超人的に人間とした描かれている。結局、荒れるか・逃げるか、になってしまうということか。パイロットについての記述がもっと欲しかったが、その思わせぶりなところが小説の魅力になっている。この著者の作品は初めて読んだが、他の小説も読んでみたい。

2009年9月4日金曜日

9月の一関

9月3-4日は「久保川イーハトーブ自然再生事業」が進められている一関へ。5月に植生調査を行ったサイトで、研究室OBのO君と秋の植生調査を行った。第二次生物多様性国家戦略以前はほとんど注目されなかった「里山の自然」は、ここ数年では新聞などでも頻繁に取り上げられるになっている。私がみたことのある場所の中で、もっともすばらしい「里山の自然」が残されているのは、この一関である。

今回はちょうど畦にアケボノソウが咲く季節。

初めて見た植物(O君に教えてもらった)ツガルフジ


農業のための畦草刈りやため池管理が生み出した環境と、それをうまく利用して生育する生物。ほんの30-40年前は日本中で普通だったのだろうこの景色が、残っている場所は本当に限られている。


連日のフィールドワークに悲鳴を上げるように、長靴に二箇所も穴が開いた。今回のは寿命6ヶ月だった。

2009年9月2日水曜日

9月の浮島調査開始

大学院生のW君と浮島湿原で光の測定。
測定に適した「陰」の天気で、まま順調に作業終了。9月に予定してる調査は項目が多いので、植物のフェノロジー、気象条件などを考えて能率よく進める必要がある。フィールドワークで良いデータをとるには「段取り力」が不可欠だが、W君は確実にそれを身につけてきていて、本当に頼もしい。

2009年9月1日火曜日

8月の三方湖

今年から新しいフィールドとして通い始めた三方湖。
7月30-8月1日はヒシの個体群調査に行ってきた。今年は昨年ほどではないがヒシは多めとのこと。
ヒシの増減に影響する主要な要因を明らかにし、動態予測モデルをつくることが目標。在来種ながら、ときに厄介者扱いもされるヒシとうまく折り合いをつける助けになればと考えている。

今回の調査タイミングでは、花が少し残り、まだ成熟種子はほとんどない状態だった。種子採取にはもう一度訪問が必要そうだ。一度「種子から育てる」経験をするといろいろなことがわかる。この後の過密スケジュールを考えると、良いタイミングで行けるかが若干不安だが、現地の方と相談しながら進めたいと思う。

2009年8月28日金曜日

学力調査の記事

朝日新聞の一面に「応用問題が苦手 変わらず」という記事が出ていた。「この記事おかしい」妻が言うので読んでみると、たしかにヘンだ。

国語や算数で、知識を問う「A問題」と知識を応用する力をみる「B問題」を出したところ、たいていA問題の平均点が低かった。だから応用問題が「苦手」という主張である。応用力に力点をおいた授業を進めてきたはずなのに効果が出ていない、とも述べている。

Aが基礎知識、Bがその基礎知識の応用、なのだから、AよりもBの成績が悪くて当たり前じゃないでしょうか。知識がないのに応用ができたらヘンじゃないのかな?授業の改善効果をみたいのだったら得点の絶対値の比較ではなくて、B/Aみたいな指標の変化をみた方がいいんでない?

目的が不明瞭な調査の結果から無理に何かを言おうとして、おかしな解釈をしてしまったのだろうか。

2009年8月27日木曜日

8月の豊岡

8月24-26日は豊岡へ。
調査地にしている放棄水田には、春先にはコウノトリが頻繁に来ていたがこの季節はあまり来ないようだ。やはりオタマジャクシが目当てだったのかな。

夜はシカのライトセンサスを初めて経験した。あまりの密度に驚愕。同行してくださったM先生の感触では、1km^2に100頭強はいるだろうとのこと。M先生と話ができたおかがで、いろいろと新しい研究のアイディアを得て、とても有益な調査だった。

とはいえ、豊岡での仕事は当面は研究よりも教育(学生実習)が第一目的。一ヵ月後の本番に向けて準備を進めなくては。

2009年8月16日日曜日

仕事のBGM

ジャズが好きなので、仕事をしているときも休んでいるときも、いろいろと聴きます。

仕事をしながら聴くのは、演奏者が楽しそうにしているものでなければいけません。いくらメロディーが美しくても、苦しそうな声をあげながら演奏するキース・ジャレットや、重いメッセージを込めて吹くジョン・コルトレーンは向いていません。私にとって、仕事を後押ししてくれるジャズミュージシャンの代表は、オスカー・ピーターソンとミシェル・ペトルチアーニです。

いま嵌まっているのはこれ。


最初のトラックに入っているMedley of My Favorite Songsを聴きながらだと、日本語の文章書きやデータ解析は滑らかに進むような気がする。

ただし英語の論文を「書く」ときはジャズはあまり聴きません。調子に乗りすぎて、独りよがりな文章になるからです。論文書きのときに聴くのはバッハが一番。整然として緻密な感じが、論文書きにぴったりだと思います。

2009年8月5日水曜日

上海(おまけ)

「食べ物の提供」はもっとも基本的な生態系サービスの一つである。今回訪問した太湖周辺の湿地帯では、地域でとれる色々な生き物を食べるという文化がしっかりと残されていた。ほんとうに多様な湿地性の動植物を食べ物として利用している。つとめて地元らしいものが食べられるところで昼食や夕食をとったが、植物ではヒシ(トウビシ)、ハス、マコモ、オニバス。動物はもっと多様だ。魚類学者の鹿野さん、中島さんが教えてくれたので、いかに様々な魚を食べているかがわかった。オオタナゴ、ギバチ、ワタカ、ギギ、ドンコ、タウナギ、シラウオ、フナ、コイ、ナマズ、コクレン、、、魚以外ではウシガエル、テナガエビ、モクズガニ、カモ。これらは、どれもこの地域の田んぼの水路や小さな川に生息している生き物たちである。


日本の水郷地帯でも、かつては様々な湿地の動植物が食卓にのぼっていたのだろう。いろいろな生物を直接利用していれば、自然の変化を、もっと多くの人が敏感に感じることができたかもしれない。食べ物が流通の範囲が広がり輸入も増えるのと同時に、人々の地域の自然への関心が薄れ、水田はイネ以外の生物の生息を許さない環境に改変され水質の悪化や水辺の開発で野生の動植物が急速に失われるのと同時に、地域の生物を食べたくても捕ることができなくなってしまった。

「豊穣」という言葉は、低地の湿地がもつ本来の特徴を現すのにぴったりだと思う。過剰になり過ぎない栄養塩が細粒土砂とともに洪水によって運ばれ、堆積し、高い一次生産によって多様な生物が支えられ、かならずしも透明ではない水から、様々な生き物が湧くようにとれる。

治水、利水、圃場整備といった、自然の特定の機能だけに注目した管理によって、多くの生物が絶滅し、人間も豊かな恵みを享受することができなくなった。豊穣の氾濫原を再生させることが、これからの日本でどうしたらできるだろうか。

2009年8月4日火曜日

上海2日目(8/3)

二日目の行き先は太湖と長江の間に無数にある大小さまざまな湖沼、それらをつなぐクリーク、水田といった、湿地帯である。

日本で過去30年間に起こった環境の変化が、この地域では5年間くらいの間に生じつつあるように感じた。日本がたどった湿地の生物の喪失の道を、おそらくそれよりも早く走ってきているという印象だ。まだ日本ほどは喪失が進んでおらず、この一日だけでも、クロモ、イバラモ、フサモ(or ホザキノフサモ)、コウガイモ、マツモ、ササバモ、シャジクモ、イトイバラモ(or オオトリゲモ or トリゲモ)といった沈水植物を湖の中でみることができた。しかし、アオコが発生している湖も多く、いくつかの湖では、沈水の切れ藻や、サンショウモやオオアカウキクサといった日本では絶滅危惧になっている浮遊植物とアオコが岸辺に吹き寄せられている光景がみられた。水草優占の湖から植物プランクトン優占の湖へのレジームシフトが生じつつあるところということだろう。霞ヶ浦では1970年代後半から80年代初頭にかけて、このような状態だったのではないだろうか。


湖岸はコンクリート化されてはいるが、霞ヶ浦などとは異なり、高い堤防は築かれていない。李先生によると治水上の問題はそれほど無いとのこと。では何のために護岸しているのだろう。洪水の心配はなくても、道路などの人工物を近くに作ってしまった関係で、侵食は防止したいのかもしれない。また、このようにコンクリート化して、その陸側に遊歩道を設けるようなデザインが「近代的」ととらえられているのかもしれない。

いま日本のいくつかの湖沼では、過去の開発で失われてしまった植生を再生させるために大きなコストが投入され始めている。これは必要な努力だが、この地域では、なんとか劣化を食い止め、保全することが緊急課題だと思った。すでにいくつかの湖では手遅れ(カタストロフを起こしている)かもしれない。しかし、幸いにしてまだ一年生の沈水植物もそれなりに見られる場所もある。ホットスポットを抽出し、保全を進めることが何にもまして重要だと思った。

しかし、ほとんどの湖で湖岸がコンクリートの直立護岸になっている。保護区として重視している場所も、沈水植物を残す努力はされているが、抽水植物帯が失われていることには注意が払われていないようだ。生物多様性の視点が、まだ十分ではないのかもしれない。ご案内をしてくださった李先生と、エコトーンの重要性と、この地域で再生させる手法について議論した。


今回の旅で、湖とともに楽しみにしていたのは、田んぼを見ることである。日本の低地水田稲作のルーツであるこの地域では、田んぼや水路にどんな「雑草」が生えているのだろうか。圃場整備や農業の近代化で日本からは失われてしまった植物が、この地ではまだ残っているのだろうか。それとも農薬の使用は盛んなようだから、もう失われてしまっているのだろうか。

答えは、除草剤が使われている田んぼは水田の水路も含めて見事に雑草が無いのに対し、そうでない田んぼには日本では絶滅危惧になっている「雑草」がたくさん生えていた。除草剤の散布は、畦の草が黄色くなっているかどうかで判断できる。畦草が緑の、おそらく除草剤がほとんど使われていない田んぼは、全体としては稀だった。しかし、そのような田んぼでは、サンショウモ、ミズオオバコ、ミズマツバ、キカシグサ、シャジクモ、ミズワラビ、コナギといった植物がイネと混生し、水路にも2m間隔くらいで大きなミズオオバコがみられ、クロモやマツモなどの沈水植物もみられた。このような田んぼは、米を生産できる一方で、氾濫原の生物にとっての生育場所ともなっている。耕作のしかた次第では水田は自然破壊ではなく、氾濫原の生物保全になるとは言われているが、本当にそうなのだということが実感できた。たまたま見つけた「雑草豊かな」田んぼでは、草取りをまめにやっているのか、これらのイネ以外の植物がみられるのは主に畦の際に限られていて、イネが抑圧されているようには見えなかった。

2009年8月3日月曜日

上海1日目(8/2)

関東平野で氾濫原の自然を再生させることを目標に仕事をしている私にとって、日本の低地水田稲作文化のルーツといわれる長江下流域は、もっとも生きたい外国の一つだった。上海行きは二度目だが、前回の訪問は12月で、しかもセミナー参加が主目的だったので、8月に長靴と胴長を持参してフィールドワークに参加する今回の旅行は、実質的に最初の「自然観察」の経験となった。

長江の巨大な氾濫原にある太湖とその周辺の河川や湖沼群が今回のフィールドである。ただし私は九大工学部の島谷教授の研究チームの10日間の調査の最後の3日間だけ参加する形だったので、見ることができたのは、ごく一部だった。しかし、長江河口にある崇明島を訪問一日目、淀山湖をはじめとする長江周辺低地の湖沼群を二日目に見ることができた。この二日間の経験は、氾濫原の自然の理解を深めるのに大いに役立った。

崇明島は長江の河口デルタに発達した中州で、長さ約80km幅約25kmもあり、世界最大の砂洲ともいわれているそうだ。65万人が住む都市であり、それと知らなければそこが島だとは感じられない。島の上流端と下流端に湿地が発達している。上流側の湿地は淡水性、下流側は大部分が塩性湿地だそうだ。この下流側の塩性湿地はラムサール条約登録湿地になっており、クロツラヘラサギをはじめとする多くの鳥の生息場所となっている。

鳥について知識の無い私は、しかし、別の見たい生物があった、Spartina anglicaである。7年前に北京での外来種についての国際シンポジウムに参加した際、中国の複数の研究者がこの植物の侵略性について説明していた。その後、特定外来種法ができた際、まだ日本への侵入が確認されていない唯一の対象種として、この植物が登録された。まだ確認されていなくても、近隣の中国で猛威を振るっていることから、侵入のリスクも、侵入後のハザードの大きいことから対象に選定されたのである。




湿地は長江下流側にあたる東に頂点をもつ二等辺三角形のような形をしており、その北側と南側では環境が異なる。北側は塩性湿地、南側はほぼ淡水性の湿地だそうだ。これは、この島によって長江が2つに分留されており、南側の長江は川幅が広く上流からまっすぐに流れ出てきているために、淡水の押し出しが強いのに対し、北側の長江は細く湾曲した形をしているために、淡水の押し出しが弱く、海水の影響がより強く及ぶためだそうである。

私達がみることができたのは二等辺三角形の中央部、しかも最も陸側の部分だけだったので、Spartinaが特に猛威を振るっているという塩性湿地をみることはできなかった。また、塩生植物が優占する開けた湿地もみることはできなかった。しかし、見渡すかぎりのヨシ原に入り込んだ水路の水際に、見慣れない細い植物が密生している。果たして、Spartina angrlicaであった。淡水域ではヨシが十分によい成長を示すためにこの外来種が優占するのは局所的になるが、ヨシの勢力が弱まる汽水域では、相対的にSpartina有利となるのかもしれない。日本への持込み第一号にならないように、気をつけて長靴を洗い、現地をあとにした。

崇明島には農業用の水路や運河として利用されるクリークが巡らされている。何箇所かに入ってみてみたが、水中にはマツモやトチカガミがみられるものの、水辺はほとんどの場所でナガエツルノゲイトウの群落が認められた。南米原産の外来種であるこの種は、今回の上海調査を通じて、至るところで目にした。日本では印旛沼などの湖沼で大繁殖し、かなりのコストをかけた駆除が行われている。流れの緩やかな富栄養な水の水辺が生育適地らしい。

そのナガエツルノゲイトウが繁茂する「水田」がいくつもみられた。イネは20m四方ほどの水田の中央5m四方ほどの範囲に生えているのみで、その周辺はナガエツルノゲイトウが単独で優占している。最初は、ナガエの侵入でイネが負けてしまったのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。イネが生えている中央部には、ほとんどナガエが混入していないのである。どうも田んぼの中でナガエを積極的に生やしているように見える。




熱心に田んぼの写真をとっている私たちを不審に思った農家のおじさんが通りにでてきたので、同行してくれた同済大学のリャンリャン君に、ナガエツルノゲイトウを育てているのかどうか聞いてみた。その答えを聞いて驚いた。カニのエサだというのだ。えっ!と思って田んぼをみてみると、確かに畦をモクズガニ(チュウゴクモクズガニというそうだ)がカサカサと歩き回っており、畦の上にはカニの脱出を防ぐような柵が巡らされている。切っても切っても再生してくるナガエツルノゲイトウは、草食性のカニには格好のエサになるのかもしれない。直接は食べないとしても、隠れ家としては適しているだろう。カニ養殖のために導入したのだろうか。

どうして田んぼ全部をカニ養殖に使わずに、真ん中で米をつくっているのだろう。島谷先生によると、土地の登記(?)上は稲作用地とされていて、勝手にカニ養殖はできない。特に最近は水質汚染のもとになることでカニ養殖は対する規制は強まっている(太湖では2008年から今年にかけて、カニ養殖が1/5に減らされたとのこと)。どうやら、私達がみたナガエツルノゲイトウを使ったカニ養殖は、「もぐり」の類らしい。

崇明島への往復は大型のフェリーで、片道約1時間半の旅だった。雨だったせいもあるかもしれないが、長江は茶色く濁り、波立ち、対岸は見えず、私が知っているどの川の様子とも違っていた。司馬遼太郎の街道を行く「中国・江南の道」でその描写が印象的だった、波間を跳ね回るような「ジャンク船」を見ることができなかったのが残念だが(もう絶滅したのかな?)。カニの水田漁労をはじめ、刺激的な第一日目だった。

2009年7月23日木曜日

蕪栗沼遊水地

今日は宮城県の蕪栗沼へ。土浦でレンタカーを借り、石岡で草刈り機を積み込み、常磐道・東北道を走ること5時間で到着。昨日までの名古屋はとても蒸し暑かったので、ひんやりした空気がとても清清しく感じられる。

蕪栗沼周辺は、冬季湛水をはじめとした生物に配慮した稲作農法が成果をあげ、世界で初めて水田を含めた湿地がラムサール湿地に登録されたことで有名な地域である。今回はじめて訪問したが、今日は現地を走り回って、この地域はもともと広い氾濫原であり、現在の蕪栗沼は水田開発に伴って造成された遊水地=治水施設であることがよくわかった。蕪栗沼は、周囲堤、囲堯堤、越流堤が整備されており、近代的な治水施設といえる。

水田がラムサール登録されたことも画期的だが、治水施設(洪水から人間の命と財産を守ることが主目的の施設)が登録された、というのも誇るべきことなのではないかと思った。そして、生物に配慮した農法の「水田」と、洪水の影響も受け野生的な自然が残る「遊水地」が隣り合って存在することで、多くの野鳥にとって魅力的な生息環境になっているということが、とても面白いと思った。日本の各地にこのような遊水地は存在する。その周辺で生物に配慮した水田耕作をすることは特別な効果を持つかもしれない。

さて、明日は6時におきて草刈り。今回の出張の主目的は、ここをフィールドに研究している大学院生のY君の手伝い。有機農業を悩ませている斑点米カメムシを抑制するための水田周辺の植生管理という意欲的なテーマに取り組んでいて、今回はランドスケープスケールの壮大な実験をしようというので、手伝いに来た。草刈りなら任せておくれ。

2009年7月21日火曜日

発表準備とインディアン祭り

明らかにお門違いというか分不相応というか、とにかく違和感がありつつも「アジア太平洋地域における生物多様性観測のネットワーク化のための国際ワークショップ」なる会合での発表を引き受けてしまった。未経験の場に向けて準備をする過程で新しいアイディアが生まれることもある、という自分勝手な理由で引き受けてしまったが、いよいよ本番が近づくと、「空気が読めてない」内容を準備してしまった気がして、なんとも落ち着かない。ましてや英語での発表なんてオソロシイとしか言いようがない。はい、でもがんばってきます。

この行事と連動して、7月18-20日には「生物多様性:特徴、保全、持続的利用」をテーマにしたASIAHORCs(アジア研究助成機関長会議)主催のシンポジウムが同じ会場(名古屋大学)であった。本当はこれにも参加したほうがよかったのかもしれないが、欠席にさせていただいた。理由は
めばえ幼稚園 の インディアン祭り
と日程が重なったから!
楽しかったなぁインディアン祭り。もう今から来年が楽しみである(その前に運動会か!)。

お祭りで盛り上がったテンションで家に帰り、フェイスペイントを落として、子供が寝てから発表準備を終えた。「空気を読む」必要なんてないんじゃない?という気持ちになった。

2009年7月13日月曜日

7月の浮島湿原

W君と霞ヶ浦へ。
5月にマーキングした実生の生存率を調べるため、ヨシ原の中に這いつくばっての作業。
風があったからよかったものの、この季節のフィールドはさすがに疲れる。
予想通りの結果が得られ、研究成果の手ごたえが感じられた。予想通りの結果がでるとつい「面白い面白い!」とはしゃいでしまうが、W君には「意外な結果がでたほうが面白いです」と言われる。うん、それはそうだ。さすが大物である。

調査中に、突然、来週のフォーラムでの発表内容を思いついた。けっこう良いアイディアかもしれない。問題は新しい解析をやる時間が取れるかどうかだ。

2009年7月5日日曜日

カワコンブって?

昨日の渡良瀬フォーラムで聞いた話.
旧谷中村ではお正月の昆布巻きは「カワコンブ」で作っていたそうです.カワコンブは水がきれいで流れが速い川の中に生えるもので,渡良瀬では赤渋沼から流れ出る川にはいっぱい生えていたとのこと.カワコンブってどんな植物でしょう?ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください.

カワコンブの話題も登場した佐々木さんのお話,面白かったなぁ.
地域に特徴的な自然を言い表すには地元の言葉が一番.私が「浅い水域や地下水位が0cm程度の過湿な立地がひろがっている状態が・・・」などとクドクドと説明していた状況は,「シベッチャレ」という一言で表現できるらしい.

川の形状に関する地域名で,蛇行の内周側は「オンマルメ」(おん丸め?),外周側は「フカンド」(深処?),合流部は「ワカサリ」(分さり?)はなんとなく由来も想像できたけど,直線部を「ウタリ」と呼ぶのは,どういう由来なのだろう.

2009年7月4日土曜日

宣伝(自然再生講習会)

まだ空席あります。奮ってご参加ください。(学割つくればよかったかな・・・)
----------------------------------------------

日本生態学会 第1回自然再生講習会
「あなたにもできる自然再生:生態学の視点から」

主催:日本生態学会
後援:応用生態工学会、日本景観生態学会、日本緑化工学会、
国土交通省、農林水産省ほか
企画:日本生態学会生態系管理専門委員会

日程:2009年8月1日(土曜) 13:30-17:00
場所:東京大学農学部1号館8番教室
定員 200人
参加費2000円

・参加者にはアンケートを提出していただき、その上で受講証明書を発行します。
・自然再生事業関係の書籍展示コーナーを設けました。ぜひ活用ください。

13:30-14:00 矢原徹一(九州大学・日本生態学会長)
「自然再生ハンドブック」について
14:00-14:30 渡辺綱男(環境省) 自然再生事業の進捗状況
14:30-14:40 休憩
14:40-15:30 三橋弘宗(兵庫県立大学/兵庫県立人と自然の博物館)
安室川自然再生事業について
15:40-16:30 津田智(岐阜大学) 小清水原生花園風景回復事業について
16:30-17:00 竹門康弘(京都大学・生態系管理専門委員長)
質疑応答、アンケート集約と閉会挨拶

連絡先 〒240-8501 横浜市保土ヶ谷区常盤台79-7 横浜国立大学
環境情報研究院 松田裕之 matsuda@ynu.ac.jp

参加申込み方法 日本生態学会事務局 course@mail.esj.ne.jp
にメールで氏名、所属、メールアドレスの情報を添えて申し込んでください。返信を受け取った時点で受付終了します。なお、この申し込み情報は、今後の生態学会生態系管理専門委員会の関係行事案内以外には使用いたしません。

自然再生講習会ウェブページ http://risk.kan.ynu.ac.jp/matsuda/2009/090801.html

-------------------
日本生態学会生態系管理専門委員会 (2005) 自然再生事業指針. 保全生態学研究. 10: 63-75
同委員会では、現在、「自然再生ハンドブック」を編纂中です。

2009年7月3日金曜日

ブログに書く内容

あまり深く考えずに書き始めたブログですが、気がつけば開始してから一年以上が経過していました。
それほど頻繁には書いていませんが、三日坊主暦30年の私にしては長く続いていると思います。自分に近い興味をもっている人への情報提供、自分のための備忘録、息抜き(←最近は主にこれ)etc.など、いろいろな意図で書いていますが、書き始めようと思ったときに、一つだけ決めたことがあります。

それは同業者(研究者)の仕事内容や主張に対する批判は書かないということです。研究者どうしの批判や議論は、論文や学会といった科学の場でやるべきです。それらの場はpeer reviewや同業者の監視など、一応(?)公平な議論ができる仕組みが確保されています。手続きとマナーを理解していれば、たとえ「目上」の人であっても批判することができ、その妥当性について第三者がコメントすることもできます。そのような仕組みがあることが、この業界の良いところだと思っています。

以前、自分の考えに基づいてやった仕事について、科学の場ではないところで批判されたことがあり、ずいぶんと悔しい思いをしました。それは、批判されたことそのものによる悔しさではなく、反論の場がないことの悔しさでした。論文や学会誌の意見文として掲載されたものであれば、ルールに基づいて反論ができます。でもそうでない手段による批判に反論するのは難しいです。「落書き」を引用して反論することはできないからです。といって、こちらも科学以外の場で反論しようとすると、泥仕合や子供の喧嘩じみたやりとりになってしまいます。匿名が可能な掲示板で消耗的な議論(?)をしたこともあり、だいぶ懲りました。

そんなわけで、「なんだかなぁ」と思うような同業者の仕事や主張についても、ブログには書かないようにしています。

2009年6月30日火曜日

市民参加のメリットの一つに

自然再生推進法の協議会は、意思があれば原則として誰でもメンバーになれます。これまで行政が専門家を使いながら進めてきた検討に、市民の立場でも参加することができるわけです。

このことのメリットはいくつかあります。その一つに、あまり言われていないことですが、「行政の限界」を市民に知ってもらうことがあると思っています。行政は、いくつもの矛盾する要求、行使できる権利の限界、法律の文言に縛られながら仕事をしています。市民が行政の判断に意見することは意味のあることですが、一方的な批判は生産的ではありません。相互理解が不可欠でしょう。限界の中で努力している現実を知り、お互いが敬意をもって接することができなくては(もちろん努力していることが前提ですが)、生産的な議論は望めません。

自然再生推進法は、いろいろな立場の人に行政の矛盾や苦労を知ってもらい、生産的な議論ができるチャンスだと思います。でもそのためには、行政側も「腹を割る」必要があります。これは勇気がいることのようです。その勇気を発揮して、新しい関係が構築できた例は、ほとんどないかもしれません(思い当たる例は一つだけあります、いろいろ好条件が重なった例ですが)。

行政が、行政の現実を知ってもらうことをメリットと感じるようになると、自然再生も新しいフェイズに入るかもしれないな、と思います。

IME辞書のトラブル

IMEの辞書がご乱心。登録した単語の先頭のひとつ「會田」を残してすべて消えてしまった。
自分の名前や肩書も変換できず、日本語書きにえらく苦労をしている。
いろいろと復旧を試みたがすべてダメ。あきらめて再教育をすることにした。面倒がらずにバックアップをとればよかった。。。

2009年6月20日土曜日

高校生に授業

栃木県の小山西高校とのSPP(Science Partnership Project)の一環で、5月の観察会に引き続き、今日は生徒さんたちが大学に講義を聞きに来てくれた。「植物の暮らしとタネ(種子生態学入門)」と「渡良瀬遊水地の未来を考えるために」の2コマの講義をしたが、全員がとても真剣に聞いてくれたので、こちらもだいぶノッて話をすることができた。

特に、教室からインターネットに接続して、国土地理院の「地図閲覧サービス」と農環研の「歴史的農業環境閲覧システム」をみながら、小山の高校生にとっておそらくもっとも身近な思川を題材に、川の形や町の分布の過去100年の変化を説明した部分は反応がよかった。このテはまた何かに使えるかな。

2009年6月19日金曜日

大学院生の討論会

「自然再生事業モニタリング実習」という大学院実習が6年前に新設され、ずっと担当している。この実習は、自然再生事業の作業やその市民参加型モニタリング調査に学生を参加させるというもので、今年は鬼怒川と霞ヶ浦でそれぞれ一日ずつ野外作業・調査に参加してもらった。今日は実習の締めくくりとして、野外活動に参加した経験を踏まえて、「自然再生事業における市民参加」をテーマに学生どうしで議論をしてもらった。個人でレポートを書いてもらうのもよいけれど、討論をするというのも大学院生らしくていいかな、と思って。

結果はまずまず成功。私にも参考になる意見がいくつか聞かれた。
ただ8人の参加者は意見の同調性が高くて、あえてちょっと極端な反対意見を言ってくれる「サービス精神」のある人がいなかったから、ちょっと平板だったかな。来年はディベート形式に挑戦してみようかな。テーマも、もう少し学生にとって身近で実感を伴って発現できるものにした方がよかったかもしれない。

2009年6月15日月曜日

仕事のこなし方

最近、以前よりも多様なことをこなさなければならなくなりました。ここ2週間の間にも、霞ヶ浦に調査に行ったり、北海道(日高門別)に植生管理に行ったり、学生実習の指導をしたり、、その合間に読み物(論文の査読、編集している本の原稿チェック、お勉強)や書き物(論文や本)の仕事をしたりと、めまぐるしい毎日です。

最近、一つコツがわかりました。頭が、読み仕事に向いている状態と、書き仕事に向いている状態はかなり違っているらしいので、「今は読み/書きのどちらに向いた状態か」を良く考えて、能率のよいほうの仕事を進めると良いようです。「読みたい」ときに書いてはダメ。読み/書きのそれぞれで優先順位をつけておき、頭のモードにあわせて上から順にこなしていく、と効率がよい。野外での調査や作業はいつでも出来るようです。

2009年6月5日金曜日

常陸国風土記のイベント

友人夫妻が開催するとっても面白そうなイベント(遺跡のイラスト・写真展+α?)をご案内します。
以下、矢野さんからいただいた情報です。私もなんとか時間を作って行きたいと思います。

--------------------

「常陸国フールドノート 行方の郡」
空想考古学シリーズ4

6/1(月)~6/15(月)
会場:コーヒーショップコマクサ
ひたちなか市東石川3-14-13
常磐線勝田駅から徒歩20分
湊線日工前駅から徒歩7分
営業時間:9:00~19:00(オーダーストップ18:30)
水曜日定休
主催:ジェオアート・コーヒーショップコマクサ
問合せ:029-273-9695(コマクサ)

今から1300年前の報告文書である「常陸国風土記」は
今にわずかに残る風土記の一つで、当時の茨城県の状況や
古来の伝承が記録されています。
この写本の際に略記されている風土記のなかでも
「行方(なめかた)の郡(こおり)」の章は省略されてないとされてとり、
風土記の記述に基づいて現地を調査しました。
イラストと写真で、風土記の世界、そして今に残る風土記の地を
紹介します。
イラスト:さかいひろこ   写真:矢野徳也
6/1(月)~6/15(月)
会場:コーヒーショップコマクサ
ひたちなか市東石川3-14-13
常磐線勝田駅から徒歩20分
湊線日工前駅から徒歩7分
営業時間:9:00~19:00(オーダーストップ18:30)
水曜日定休
主催:ジェオアート・コーヒーショップコマクサ

2009年5月27日水曜日

年齢

さいきんまで、なんとなく自分は36歳だと思っていたが、計算してみたら37歳だった。
思い違いをしていたことに驚いた。

2009年5月25日月曜日

5月の豊岡

5/23-5/25は豊岡へ。4月に設置した防鹿柵の効果は予想通りテキメンで、思ったより早く仮説を支持するデータがとれそう。とはいえ、2年か3年は続ける必要があるが。哺乳類による湿地の攪乱に依存して生息する生物は多い。ヒトが攪乱(耕作)しなくなっても、シカやイノシシが攪乱することで維持されている動植物がいる。

一般に、森林では増えすぎたシカやイノシシが植物に不可逆なまでにダメージを与え、深刻な土壌流出などの問題を引き起こしているとされる。しかし、私たちがフィールドにしている地域の森林ではあまりそのような印象は受けない。ちゃんと調べていないのでわからないが、林よりも湿地(耕作放棄水田)が主要な採餌場所になっているのではないだろうか。

2009年5月22日金曜日

多雲と陰

W君と光の測定のために浮島湿原へ。
Diffuse site factor(散乱光条件下での相対光量子密度)を測るため、天気予報が「曇り」の日を選んだが、あいにく雲は疎らで強風。ときどき「曇り」になるが直後にはピーカンに晴れてしまうので、測定は途中で諦めた。

留学生のW君によると、中国では日本での「曇り」に相当する天気予報の表現には「多雲」と「陰」とがあるそうだ。多雲は基本は青空だが白い雲が多くある状態、陰は空全体が鉛色に曇った状態。なるほど、それなら光の測定は「陰」の日に予定すればよいということになる。

2009年5月21日木曜日

論文の採点

Ecological Researchの査読レポートのシステム(Springerのウェブサイト)では、Accept, Revision, etc.などの判断のほかに、100点満点の評点をつける欄がある。あれはどのように活用されているのだろうか。Rejectではないがギリギリだから60点!なんて、良かったのだろうか。

2009年5月19日火曜日

小貝川で実習の下見

学生実習の準備(下見)で小貝川と霞ヶ浦へ。
小貝川はいつもよりも範囲を広げて、下流の三日月湖の周辺などを少し丁寧に歩く。タチスミレとチョウジソウが開花していた。チョウジソウは丁寧に探すとかなり多くの場所に分布していた。

小貝川では今は堤外地になっている場所も、かつては民家や農地があった場所が多いようだ。その名残で多様な比高や水理条件の場所が存在しており、比較的狭い範囲に、後背湿地的、バックウォーターポンド、自然堤防などに相当するような環境が残され、多様な植物の生育を可能にしているのかもしれない。水の働きだけでは説明できない地形の多様性がある。

2009年5月18日月曜日

参加型調査の呼びかけ開始

アサザの実生調査と湖岸の植物観察会の案内を掲載。植物好きの方ならどなたでも大歓迎です。

7年間続けてきた「市民・研究者協働による湖岸植生のモニタリング」を、少し新しい方向に展開したいと考えている。

2009年5月17日日曜日

5月の一関

14日~16日はレンゲツツジとヤマツツジが満開の一関・萩荘へ。
日本初の完全民間発意の自然再生事業(推進法に基づく事業)である久保川イーハトーブ自然再生協議会の立ち上げの協議会に参加。手始めは溜池への侵入が急速に進んでいるウシガエル・オオクチバス・アメリカザリガニの駆除を進めることに。全体構想と実施計画は今年の正月頃から検討して、すでに完成しており、すぐにも実践が進められる段階だ。

今回の私の調査は、これから手入れが始まる林の「手入れ前」の植生調査。一見して「暗い杉林」のようなところでも、よく調べるとかなりの種が小さく生育して光環境の改善を待ち構えている。手入れの効果は短期ででるだろう。植生の変化に伴うfunctional diversityの変化の評価の仕方など、いくつかアイディアが浮かんで嬉しかった。しかし、林の植生調査なんて何年ぶりだろう。学部生の頃はけっこう種類を覚えたつもりだったが、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていて、今回は調査は共同研究者のO氏に活躍してもらい、私は記録係に徹した。

何度来てもこのフィールドは素晴らしい。「日本の里山100選」にも選ばれている地域だが、それも納得である。気になったのは畦で優占するハルガヤと道端で目立ち始めたハルザキヤマガラシ。道路工事が行われている近くでとくに多い気がする。

農業生態系に依存した生物を残していくための課題はいろいろとあるが、外来種対策はもっとも緊急性の高いものの一つだろう。いくら里山に対する社会の評価が好転しても、ある程度以上蔓延してしまっては取り返しがつかない。


(サワオグルマの写真をとるO氏。休耕田にはたいていサワオグルマが生える。この季節とても目立っていた。いっしょに行ったトンボやさんのK君が外来種と思ったというのもうなずける。)

2009年5月12日火曜日

実生調査

11日・12日はW君と浮島湿原で実生の計数とマーキング。1000個体以上の実生を数えたかな。湿地植物のnursery effectについての仮説を検証する研究の核心となるデータをとることができた。予想通りの部分と、予想外の部分があった。コケは環境次第で実生にとってのfacilitatorにもcompetitorにもなるのかもしれない。

蒸し暑い湿地にしゃがみこんで、顔を地面に近づけ、単子葉植物の実生の同定をするのは、体力以上に神経が磨り減る作業だ。今年研究を始めたばかりのW君が難しい同定をきちんとこなせていたのには、正直に言って驚いた。センスと根気の両方がなければできないことだ。

作業はつらかったがヤナギトラノオの大きな群落をみつけてハッピーに。


研究計画をたてた時点でもっとも大変と思っていた作業が終了して一安心。

2009年5月9日土曜日

高校生と観察会

3日連続で行われているJBONミーティングを中抜けさせてもらい、今年度JSTの公募企画であるサイエンス・パートナーシップ・プロジェクト(SPP)をいっしょにやっている小山西高校の生徒さんたちと、渡良瀬遊水地での植物観察会、植生調査、学校でやっている実験の経過観察に行ってきた。

必修授業ではなく希望者のみの参加のせいもあるかもしれないが、高校生はみなとっても熱心に、暑い中の野外調査に取り組んでくれた。「こんなに価値のある場所が近くにあるとは思わなかった」という話し声が聞こえたので、とりあえずの目標は達成できたかな。

しかし、あらためて丁寧に植物の様子を見ながら歩いてみると、渡良瀬遊水地の植生の成立を説明するのは難しい。特に、ヨシ・オギ・セイタカアワダチソウという大型で優占群落をつくる連中の分布が、普通のように「比高(~水分条件)」と「攪乱の履歴」では説明が出来ない。この難しさには度重なる掘削(土砂採取)の経歴が影響しているのかもしれない。たとえば浅く掘削すると地下茎がより深いヨシが残りやすく、深く掘削すると比高が低くても(その後の降水量などによっては)オギが優占するとか。とにかく他の湿地での「常識」が通用しないように思う。とてつもない価値とポテンシャルがあるけれど、同時にとてつもなく「理解が難しい」湿地だ。

しかし暑かったなぁ。睡眠不足にはちょっと堪えた。

2009年5月8日金曜日

JBONミーティング

日本での生物多様性観測ネットワーク(JBON)の第一回会合に参加した。既存の様々な生物・生態系調査データを統合的に活用し、ローカル~グローバルまで様々なスケールでの現状把握や予測に役立てる体制を整備しよう、ということがコンセプト。来年名古屋で開かれる生物多様性条約締約国会議で話題になるポスト2010年目標や、その到達度評価といった国際的なニーズもあり、「生物多様性の現状把握」の手法開発とデータベース整備が急速に求められるようになっている。

知らなかった沢山のことを効率よく勉強することができ、とても有益だった。
以下、印象に残った議論メモ。
「様々な活動の生物多様性への影響を評価し、CO2排出権のように、Cap&Tradeされる時代は確実に来るだろう。そのとき、Ecological Footprintは有効な指標となるのではないか。」
「地方分権が進めば河川水辺の国勢調査のような長期モニタリングは継続が難しくなるだろう。」
「IPCCレポートと比べて生物多様性に関するレポートが社会的に権威をもち得ないのは、生物多様性研究者の間での議論の不十分さに一因がある。」
「生物多様性概念を構成する重要な要素である『固有性』の評価手法には課題が多く残されている」

2009年4月29日水曜日

野外調査の日々

浮島湿原での2日連続のフィールドワークが終了。270本のカモノハシの茎にマーキングして直径と長さを計測。春先の野焼きや刈取りが成長に及ぼす影響を調べる。

本当は別の種についても解析する予定だったが、いろいろ考えて、カモノハシ一種に注目して徹底的な調査をすることにした。いつも、盛りだくさんの計画をたててフィールドに行き、現場で内容を取捨選択する。また机の上では考えていなかったことを急に追加する。面白い現象に気づいたときが調査のベストタイミングだと思っているので、「これは」と思ったら手を動かすことを躊躇わないようにしている。

自分ではこれに慣れているけどいっしょに仕事をする人、特に学生さんには負担になるかな、と心配していた。しかし、留学生のW君にあっては杞憂のようだ。朝改暮変する私の提案に納得がいくまで質問して考えを整理してくれる。そして納得したら徹底的にやり遂げる。フィールドの回毎に確実に成長していて、本当に頼もしい。

↑湿地に同化して調査するW君。今夜は目を閉じるとカモノハシの茎が浮かぶことだろう。

2009年4月28日火曜日

東関東自動車道身水戸線

東関東自動車道水戸線の計画が「整備計画」に格上げされ、事実上のゴーサインが出されたという。昨年度卒業したIさんと歩き回った湿地や林が道路で分断され、湖と水田と段丘と海岸の景観が失われることだろう。

景気対策のためなら何をやっても良いというのか。一部の人が一時的に経済的に潤うために、将来の世代がその恵を享受できるはずだった自然を未来永劫失う。前世紀に散々繰り返した失敗を、まだ繰り返すというのか。

2009年4月27日月曜日

環境税の事業で

 先日訪問した某県での話。県の「環境税」を使って行われた「里山管理」の事業で、造園業者が作業に入り、下草から枯葉・落枝まですっかり採集され、林床が丸坊主にされてしまったとのこと。整備後の林を見せてもらったが、「芝生に樹木が生える都市公園」のような景観にされてしまっていた。
 せっかく環境税を使う事業なのだから、生物多様性保全にとって意味のある内容でやって欲しい。そのためには、野生の生き物を良く知っている人が計画し、監視する必要があるだろう。
 このような問題は全国ではけっこうあるかもしれない。

緑の学術賞

いろいろとお世話になっているYさんが「緑の学術賞」を受賞した。内閣府のホームページにとても魅力的な紹介文が掲載されている。Yさんの進めている多数の仕事の一部には私も関わらせてもらっているが、Yさんを尊敬する第一の理由は、この紹介文に一端が触れられているような、生き物と進化への深い理解と愛情である。

ようやく

某国際誌に投稿していた霞ヶ浦のアサザの保全のための研究と実践のミニレビューが、minor revisionで帰ってきた。投稿後もいろいろあってかなり時間がかかっただけに、掲載の見通しが立ったことはかなり嬉しい。保全の研究と実践が強くリンクして進められた実例、かつgeneticな研究とdemographicな研究がリンクして進められた実例、としてけっこうアピールできるんじゃないかなと自分では思っている。

内容は主に研究室でアサザの研究に打ち込んでくれたUくんとTくんの成果(少しだけ私の成果)をまとめたものだ。さらに遡ればアサザの研究をはじめたMさんやKくんのおかげで成り立った論文である。尊敬する友人・先輩である。もちろん、これらの全てをマネージしてきたのは私の師匠であり、私は皆さんの手伝いをしたに過ぎない(思い入れは強かったけれども)。

これが出ればアサザの研究については一区切りという感じかな。しかし実践はそうはいかない。霞ヶ浦のアサザはいまだにいつ絶滅してもおかしくない状況にある。さらに保全の実践を強力に進めた弊害で?、何かしようとしても向かい風が吹くことこともある。しかし「種を絶滅させない」ことを最優先に、これからも自分の立場で出来る活動を続けていこうと思う。

2009年4月24日金曜日

スゲの春

W君と浮島湿原へ。
ちょっと予定変更を迫られる事態が発生。対照区としていた場所の植生がおおきく改変されてしまった。W君も落胆の様子。でもこんなときに計画をどう変更するかがフィールドワーカーの腕の見せ所ですぜ。

いろいろなスゲが花盛り。アサマスゲが思いのほか多くてほっとした。ウマスゲはここ数年、湿原内で増えている気がする。ヌマアゼスゲも開花。いろいろな種の実生発生もピークで、私らにとってはもっとも気ぜわしい季節になった。

2009年4月19日日曜日

小貝川観察会

自然友の会(常総市)の小貝川での観察会に家族4人で参加。
ヒキノカサが開花ピーク、エキサイゼリが咲き始め。ヒメアマナの結実確認。

驚いたのは堤防のノヂシャ(外来種)の大群落。ノヂシャは以前も見かけたがそれほど気になる存在ではなかった。しかし今年は堤防にはいたるところにあり、10m四方くらいの純群落をあった。河川の堤防は、(今では貴重な)「草地環境」として在来の動植物の大事なハビタットである。小貝川の堤防はスミレ類の種類も多く、良い場所も多い。ノヂシャに抑圧されている種もあるのではないか。

堤防は管理のために年に数回草刈がされるが、そのタイミングや方法(草刈機も昔と今とではだいぶ違う)もいろいろである。管理方法と在来種・外来種の挙動の関係は大事なテーマだろう。

子供たちはよく歩いた。エライエライ。

2009年4月18日土曜日

鬼怒川でシナダレ駆除とタネまき

鬼怒川で「うじいえ自然に親しむ会」の方々、親しむ会の呼びかけで参加した市民の方々、国土交通省の方々といっしょに、シナダレスズメガヤの駆除とカワラノギクの播種をした。こちらからは私の実習に参加している大学院生11名を引き連れて。

年に何度か駆除作業をして密度を抑制し、あわせて多少の基質攪乱をすることで、なんとか生育環境を維持している。いまのところ、鬼怒川のカワラノギク個体群は、かなり「手作業による管理」に依存して命脈をつないでいる。

2009年4月14日火曜日

Seed Ecology

2010年に開かれるSeed Ecologyの第三回国際学会の案内が来た。
ウェブサイトが開設されたそうだ http://www.seedecology3.org/

3年に一度開かれているこの学会、ギリシャで開かれた第一回に参加したが、これまで参加した国内外の学会でダントツ一番に楽しかった。もちろんその名のとおり生態学の国際学会なのだが、参加者はみんな「タネ好き」。学会の案内もプログラムも会場の飾りつけも、もちろん発表内容も、細部までタネへの愛が貫かれていた感じ。新しいウェブページも全てのページにタネの写真が貼り付けられ、そこにポインタをおくとそのタネの植物写真がでてくるという凝りよう。

また行きたいなー。

2009年4月8日水曜日

シカ柵設置

4月6-8日研究室のI君Y君と、今年から新しいお仕事をはじめる豊岡に行ってきた。

放棄水田に防鹿・防猪柵を設置するためだ。シカはあちこちで増えて問題になっていて、管理も検討されている。そのときシカによる「被害」だけでなく、シカが現代の生態系の中で果たしている役割をちゃんと評価しておかないと、偏った議論になる。

ここのフィールドでは、シカがヨシみたいな大型植物を採餌したり、土壌攪乱をしたりすることによって、攪乱依存生物のハビタットを作っているという仮説を検証する。

シカのことを考えるといつもヒシ・オニビシを思い出す。どちらも在来生物で、それを利用する文化も存在する(消えかかっているけれども)。でも最近の人間活動の変化によって増加し、邪魔者扱いされることが多い。このような生き物の生態系の中での役割を知っておきたい、と思う。

柵の設置はとんでもない重労働だった。地元の方(一日中手伝ってくれた方も!)、豊岡市役所の方のお手伝い、初日の業者さんによる指導がなかったら3日間で5基の設置は不可能だった。

今後の目安として:作業をよく把握した3人がフル回転で作業をして5×5mの防鹿・防猪柵を設置するのに3時間。
ハリガネの緊張の仕方、湿地での杭の打ち方、etc. また一つ土木建築スキルが向上した。

2009年3月31日火曜日

実験野焼き成功

5m四方の範囲を合計8箇所、首尾よく焼けた。大成功である。


2009年3月29日日曜日

草薙の剣

27日金曜日は浮島湿原での野焼き準備で、プロット設置の続きと防火帯作成を行った。
ここでの研究をすすめてくれるW君が草刈機の使い方を覚えてくれて、とても心強い。

植生管理をするためには火を扱う技術が重要で、火を扱うためには草刈の技術が不可欠だ。適切な場所で草を刈って防火帯としたり、燃料となる枯れ草の量を刈り取りによって制御して火を入れることで、目的とした強さ・範囲の火入れが可能になる。「火の使い方」は保全生態学の技法としてもとても重要。W君は実践的保全生態学者として頼もしい一歩を踏み出した。

肩掛け式の草刈機は使い慣れると本当に便利でありがたい。「草薙の剣」と呼びたくなる。

・・・ヤマトタケルが草薙の剣で野火を難を逃れた神話は、畑あるいは水田管理のために火を積極的に活用し始めたことを表した神話なのではないか、と思っている。草薙の剣はもともとはスサノオがヤマタノオロチを退治して獲得したものとされている。オロチ退治は、八筋に澪を分けながら暴れる川を制御(退治)して、水田を開拓した(奇稲田姫を手に入れた)物語であるという解釈がされている。「東征」に向かったヤマトタケルがかつて(遠い祖先神が)オロチ退治で得た剣を使って「草薙」をした話は、大陸から西日本に伝えられ水田開墾技術が、東国の土着の文化である「火の使用」を取り入れながら、より高度な農業技術として展開した物語なのではないか。。。そう考えるととても面白い。

・・・それはともかく、今回の実験準備で、現代社会で野外で火を使うということがいかに大変かがよくわかった。連絡・通知した先は、土地所有者、市役所、消防署、駐在所、区長さんなど合計9件になる。

実はこの日記を書いているのは作業の2日後。金曜日は過労で寝込んでしまった。明日は防火帯作成の続きを終わらせ、明後日に火入れ予定。

2009年3月25日水曜日

野焼き準備

来週は自分のフィールド(浮島湿原)で小規模な野焼きをする。今日はこの実験を進めてくれるW君とプロットの設置や関連の手続きを進めた。

野焼きのタイミングとしては遅すぎるのは明らかで、一部の植物にはダメージがあるだろう。しかし今年は3月末まで霞ヶ浦の水位が高く維持されていたので、どうしても火が入れられなかったのだ。野焼き実験をするかどうかさんざん迷いいろいろな人に相談したが、実施することにした。

江戸崎消防署に「火災とまぎらわしい煙の届出書」を提出。

2009年3月21日土曜日

渡良瀬、小貝川、浮島

早起きして渡良瀬遊水地の火入れ(野焼き)を見物に行った。途中事故渋滞などがあって予定が狂ったが、なんとか点火に間に合った。


渡良瀬の火入れを見に行くのは初めて。こんなに大きな炎をみたことがない。堤防の上にいても顔が熱くなった。


この規模になると観光価値もあるということか。



火が一段落するところまで見届けて、一路、小貝川へ。1月に野焼きした場所の春植物の様子を見に行く。アマナ、ヒメアマナは開花ピーク、ノウルシは咲き始めというところだった。




その後、どうしても自分のフィールドも見たくなり、霞ヶ浦の浮島湿原へ。ここも継続して野焼きが行われてきた場所だ。しかし、残念なことにここ5年ほどの間は停止している。今年は野焼きしたくても、12月から3月まで霞ヶ浦の水位が高く維持されているため、地表面が冠水して冬季に火を入れることができなかった。


3月末に向けて水位は下げ始めているとのことだが、浮島湿原の地表面はまだ冠水している。多くの植物は発芽したい季節なのに。せっかく渡良瀬、小貝川と楽しい観察をしたのに、しょっぱい気持ちで帰宅することになった。

2009年3月20日金曜日

お祭りすんで・・・

生態学会盛岡大会が終了。
収穫が多い学会だった。自分がそのようなテーマを特に選んで聞きに行ったせいもあるかもしれないが、形質ベースのアプローチに向かい始めた人が多いように感じた。生物多様性と生態系機能をつなぐ研究が本格化し始めたということかもしれない。

2000人規模の学会で、同じ時間にたくさんのセッションが重なるから、面白い発表のありそうな部屋を見極めるのが重要だ。さいきんは少し目が肥えてきたのか、なかなか良い選択ができるようになってきた気がする。いろいろと新しい情報を仕入れることができた。

ポスター発表でいろんなジャンルの生態学の発表を眺めると、解析やアプローチが練れていない発表は「保全」のテーマに集中して多かったように感じた。もちろん保全でもしっかりした研究はあるのだが。理学以外の分野を背景とする研究室の発表が多いせいだろうか。 「保全のテーマならちょっとレベルが低くても許される」という風潮にならないように気をつけなければ。保全の現場では研究のための理想的なデザインにできない場合が多いが、制約のもとでベストな解析手法を検討する必要がある。幸い、現在は限られた情報から(無理な当てはめをせずに)解析する手法も提案されている。

毎回のことながら生態学会は本当に楽しい。そして、3月というタイミングが良い。新しい情報や着想を得て、来年度の仕事を考えることができる。

2009年3月14日土曜日

今年最初の渡良瀬

渡良瀬遊水地と栃木県の小山西高校に行ってきた。

高校で来年度から実施する環境教育のプログラムに協力することにしており、その準備。今日はシードバンクの調査のための土壌の採取と、実験装置への撒きだし作業をした。さいしょに氾濫原の攪乱依存植物の生き残り戦略の話などしたのだが、とっても真剣に聞いてくれて、とても楽しく話すことができた。実験準備の作業では最初にそれぞれの作業の目的を説明したら、けっこう自分たちで工夫しながら作業をしてくれて、とても感心した。来年度は何度か渡良瀬と小山に行くことになりそうだが次の機会が楽しみである。

2009年3月2日月曜日

地域動植物史

来年度の学生実習で新たなフィールドにする兵庫県豊岡市から取り寄せた大部の「豊岡市史(上下巻)」を数日がかりで読んだ。読んだといっても全てを精読したわけではなく、実習の内容と関連しそうな部分を探しながら全ページをめくっただけだが、それでも地域の歴史の概要を知り、風土の特徴をなんとなく理解することができた。

このような市町村史は全国で編まれていて、それぞれの地域の歴史を知る上で背景となる自然の特徴や、社会の成り立ちと変遷を知ることができるというのは、ほんとうに素晴らしい。同時に、市町村史の編纂には多くの、ある程度専門的な知識のある人が携わったのだから、そのような分野(自然・人文地理学、歴史学、考古学といったあたりかな?)は層が厚いんだろうな、と思った。市町村史を全国で編むことになった経緯は知らないが、専門教育を受けた人の就職先確保にもつながったんじゃないかな。

地域動植物史を全国でつくったらいいと思う。現状を記録した「生物誌」ではなく、歴史を検討した「史」。地域ごとに、過去に分布していた生物を文書資料、標本、地形の変化などから検討してまとめる。難しい検討になるが、たとえば自然再生の目標を考えるときなど、とても有益な資料になるだろう。全国で組織的に実施して、自然史の教育を受けた人の就職先確保にもなるといいのに。

2009年2月24日火曜日

素晴らしいPhylomatic

植物(被子植物)の学名のリストを放り込むと、系統樹をつくって返してくれるウェブサイトPhylomaticはほんとうにすごい。種間比較を行う上での系統的制約の考慮の重要性は昔から指摘されていたが、なぁなぁで許されることも多かった(と思う)。でも、これからは情報不足を理由にそれを怠ることは許されなくなるだろう。
ある場所での「種数の減少」も、系統樹の枝の長さの減少、として論じると深い議論ができる。Phylomaticは保全生態学にとっても革命的な道具になるだろう。
・・・少し以前にY先生に教えてもらって、いつかはと思っていたが、実際に使ってみたら本当に驚いた。

2009年2月14日土曜日

疑似科学入門


宇宙物理学者、科学と社会についての著作も多い池内了先生の本。
池内先生のかかれたものは、文章が読みやすいだけでなく、誤魔化しがないというか、読みながら疑問に思った点はからなず後で説明があるので、読後にスッキリした気持ちになる。この本もわかりやすくて面白かった。エセ科学の問題を考えたい人にはお勧めの一冊である。

この本で「疑似科学」は三種に分類される。第一種と第二種は、それぞれ占いや超能力のようなオカルトと、一見すると科学的な用語を身にまとった根拠の不確かな言説や商品(健康食品など)とであり、これまでもエセ科学として多くの人が論じてきたものであり、それほど目新しさはない。

この本の面白いのは面白いのは、従来の科学が扱いになれていない「複雑系」に関わる問題を要素還元主義のアプローチで解釈しようとすることからくる誤解・誤用・悪用を、「疑似科学」の一つとしていることである(本書中では第三種疑似科学と呼ばれている)。環境問題、電磁波公害、狂牛病、遺伝子組み換え生物、地震予知などの問題は、原因が複雑で、因子間の関係も非線形である。1+1が2とならないような関係がたくさん組み合わされている。このような複雑系の問題に対して、要素還元アプローチを押し通すことも、また要素還元的に理解できないからといって不可知としてしまうことも、どちらも科学的な態度ではないと喝破されている。

複雑系を扱う科学の進め方と、その成果を社会に対してどのように伝えていくかということは、私が保全の問題で社会と関わるときにいつもいつも気になっていることなので、「第三種疑似科学」の指摘は見事だと思った。

たとえば、湖での植物の保全の議論では「この植物は水質をよくしますか?」というようなことを良く聞かれる。「水質のよさとは?」という問題はさておくとしても、この疑問にはズバリ・スッキリとは答えられない。複雑系である生態系の状態を表す指標の一つである水質に対して、その構成要素の一つである特定の生物種が及ぼす影響は、状況依存、すなわち他種の構成や密度、物理環境条件によって変化し、場合によっては逆方向の影響をもたらす。複雑な機械を構成する歯車を一つ取り出して「この歯車は速いか?」と考えることはできないのと同じだ。だから、上のような質問をされると、どうしても「それは状況によります」とか「刈り取って持ち出しでもすれば局所的には浄化になりますが・・・」とか、いつも歯切れの悪い答えになってしまう。

このような問題に対する研究の進め方としては、その種の系への影響の仕方の状況依存性のあり方を明らかにすること、そしてそれらの事例を総合して共通するパターンを見出すこと、が適切だろう。複雑系を扱う研究は、どうしても複雑になるし、その結果もあまり単純には表現しにくい。しかし、どうしても、世間では歯切れの良い答えが歓迎され、複雑な回答は無視されがちだ。そこに疑似科学がつけいる隙があるのだろう。複雑な内容をいかにわかりやすく説明するか、これは技術を磨くしかない。

表現技術が十分に向上するまでは、わかり難いといわれても、バカ丁寧な言い方を貫いた方がよい。かつて、テレビの取材で、私の説明が回りくどいためディレクターから短絡的な言い方を強く求められ、うっかりそれに従ってしまい、とんだ赤恥コメントが放送されてことがある。それ以来、このことは教訓にしている。

2009年2月7日土曜日

小貝川野焼き


よく晴れて空気が乾燥し、風もそこそこ。絶好の日和。
小貝川で絶滅危惧植物の保全のための野焼きを無事行うことができた。






よく燃えました。みなさま、お疲れ様でした。
あと1-2ヶ月でノウルシ、アマナ、ヒメアマナ、ヒキノカサ、エキサイゼリ、シムラニンジン、トネハナヤスリ、etc.がこの1haあまりの場所に次々と姿を現す。その後は河畔林の林床にマイヅルテンナンショウ、チョウジソウetc. 水田開発、河川改修、河畔林の伐採ですっかり氾濫原の自然を失ってしまった関東平野の、ほんの一角に残された宝石箱のような場所。

午後は菅生沼に移動し、こちらも草刈と野焼きをした。ここにも関東平野の氾濫原の自然の名残が残されており、茨城県自然史博物館や筑波大学の方々を中心とした活動で、回復傾向にある。今回は期待した範囲の全てを焼くことはできなかったが、タチスミレが生える核心部分は綺麗に焼けた。

安全にかつ綺麗に火を入れるには工夫が必要だ。風向き、周囲の状況、枯れ草の状態などをよく考えて火を入れるが、それでも上手くいかないこともある。日本の生物多様性には、火を上手く使わないと守ることがとても難しい要素が少なからずある。ヒトによる自然の管理のもっとも原始的な道具である「火」の使い方を、文化としてしっかりと伝えていく必要があるのではないだろうか。

2009年2月6日金曜日

無事じゃなかった「とりさん」

ハドソン川に無事に不時着した飛行機の交信記録が新聞に掲載されていた。
全てのエンジンが停止するという緊急事態に、落ち着いてベストの判断をして任務を全うしたパイロットの話はかっこよくて胸のすく話なので、いろいろなメディアが取り上げている。

でも、このニュースを3歳の息子に説明したときの反応は、ただ一言「鳥さんはどうなったの?」
・・エライ。そうやって物事を別の角度からみられるヒトになっておくれ。

さて、明日は小貝川と菅生沼の野焼きだ。当初は先々週に予定されていたが、悪天候で延期になった。
ここのところ天気もよく、風も吹いたので、きっと草は乾いているだろう。燃えるぞ、きっと。

2009年2月1日日曜日

やまのかいしゃは、メガネはいらないんだよ

早く帰宅した晩は子供(3歳と1歳)に絵本を読み聞かせている。休日は家にいる間のかなりの時間が絵本読みだ。いま家の子供たちがハマッているのがスズキ・コージ作品。
今日も「きゅうりさんあぶないよ」「ガブリシ」「やまのディスコ」「やまのかいしゃ」「ガッタンゴットン」あたりをヘビーローテーションで読んだ(子供は同じ本を日に何度も何度も何度も読みたがる)。

表題は「やまのかいしゃ」から。

寝坊して飛び乗った電車が会社のある町に向かわないので、成り行きにまかせて「やまの会社」に行くことにした「ほげたさん」。景色のよい山の会社で楽しく過ごし、あまり気持ちが良いので町の会社で働く仲間を山に呼ぶ。社長以下、大勢の社員が山に登ってきて楽しく過ごすのだが、「やまのかいしゃはもうからないので」、会社の仲間はまた元気に山をおりて町を降りていく。でもほげたさんは山の会社を任され、そのままいまでも楽しくやっている。という話。ほげたさんが会社に行きたくないわけではないこと、社長や会社の仲間もほげたさんを咎める様子がないことなどの設定が、この本を魅力的にしているのだろう。何とも面白い。子供がいなければ読むことはなかったかもしれない。

「きゅうりさん・・」「ガッタンゴットン」のようなナンセンスものも大好きなうちの子供たち。将来が楽しみである。まぁ親が読んでいて楽しいから、子供もつられて好きになるのかも。
スズキコウジの絵は本当にすごい。

2009年1月30日金曜日

修論発表会

私の所属する専攻(東京大学農学生命科学研究科生圏システム学専攻)の修論発表会が終わった。

「生圏システム学専攻」という言葉は???だが、英語ではDepartment of Ecosystem Studiesであり、要するに生態学の専攻だ。そして多くの研究室が保全生態学的なテーマを扱っている。私が就職したのは今から7年前だが、その頃にくらべて、生態学のテーマとして面白い研究が格段に増えたように感じた。それぞれバックグラウンドとなる分野は違うが、社会的にニーズの高い研究や先見性のある研究テーマをうまく選んでいると思う。偉そうな言い方をすれば、この専攻が設立されて10年経ち、ようやく成熟してきたということだろうか。いい専攻だなぁ、と思いながら質疑応答を楽しんだ。

今年は空間生態学やハビタットモデリングに関連したテーマが多かった。ちょっと流行なのかな。

2009年1月22日木曜日

谷中村滅亡史


いつか読まなければ、と思って入手していた本。少し読んでは、一文一文のあまりの「重さ」にページがめくれなくなっていた本で、長らく本棚に並んでいたが、今年から渡良瀬遊水地にも少しずつ関わろうと思った機会に、最後まで読んだ。

渡良瀬遊水地は関東平野に氾濫原の自然を大規模に再生できる唯一の場所だと思う。

企業と国によって奪われた谷中村は元にはもどれない。しかし谷中村とともにあった赤麻沼とその周辺の沼沢地の自然は、もう一度蘇らせることができるのではないか。それは谷中村が滅亡した頃には意識されていなかった「生物多様性の保全」という世界的な目標にとって、特別な価値のあることだ。谷中村が存在した場所にそのような新しい価値を見出して再生させるという考え。田中翁が聞いたらどう言うだろうか。

2009年1月15日木曜日

霞ヶ浦の水位

研究フィールドにしている霞ヶ浦の水位は、ほぼ毎日ネットでチェックしている。
今年の冬はYP1.3mという高い水位が長い期間維持される方針だという。今日も1.28m。こんな数字を見るたび、身が削られていく思いがする。この水位は現在の霞ヶ浦の湖岸に辛うじて残されているヨシ原の地面(大抵の場所がYP1.1m程度)を著しく侵食するものだからだ。植物の発芽が始まる3月までヨシ原を冠水させ、発芽の機会を失わせるものだからだ。

水位の問題を指摘する論文を書き、機会があれば発言もしてきたが、まだどうすることもできていない。失われていく植生をみてため息をつくばかりだ。水位管理の効果を検証する「専門家」による委員会もあるが、明らかな植生変化を示すデータを得ながらも「今後も継続したモニタリングが必要」という程度の結論しか出せていない。誰かなんとかして!

水位を直接的に管理しているのは国土交通省と水資源機構という国の機関だが、水位はここの一存で変えられるものではない。水を利用する権利をもつ主体=主に茨城県が「少なくともこの季節はそんなに水はいらない。むしろ生態系を守って欲しい」と声をあげないと。とはいえ、霞ヶ浦も河川法のもと国土交通省が「環境保全」のための仕事をする対象なのだから、自然へのダメージが大きい管理を継続するのは問題である。「環境のために水位を下げて良いですか?」と、はっきり態度を示したらいい。

印旛沼では千葉県の河川行政がいろいろと努力し、保全のための水位管理方針の変更を実現している。実験的に(局所的に)昔のような大幅な水位低下をさせた場所では、念願の沈水植物の再生も実現した。県の職員の方とお付き合いする中で、いろいろな制約の中、将来を見据えて様々な努力をしてくれる意欲的な方が複数いることを知った。茨城県にもそのような方がいるはずだ。いつかそのような方々と協力し、未来によい財産が残せる管理を実現したい。

2009年1月14日水曜日

保全生物学の講義

非常勤講師をしている早稲田大の講義が今日終わった。

毎回授業の感想や質問を書いてもらっているが、今日は多くの学生さんから感謝の言葉をいただいて、素直に嬉しかった。特に「生物を守ることは人間の生活を犠牲にすることだと思っていたが、今はむしろ逆だと思うようになった」という感想が嬉しかった。一番伝えたかったことが伝わったかな。

これから2010年の生物多様性条約締約国会議(名古屋)に向けて、新聞やニュースでも「生物多様性」の話題が増えるだろう。そうなってくると「生物多様性問題のウソ」「実は深刻な問題ではない」というような言説も出てくるに違いない。地球温暖化だってそうなっているし。いろいろな説が飛び交うとき、発言者の「肩書き」などに惑わされず、科学的根拠のある説明かどうか、根拠が不十分ながらも論理的に妥当な主張かどうか、冷静に見極める目が必要だ。

受講者20名足らずのささやかな講義だったが、そのような目を養う助けになっていれば幸いに思う。

2009年1月2日金曜日

「イネの歴史」読了


イネの歴史を体系的に知ろうと思ってこの本を読んだのだが、その目的は充たされなかった。そもそもイネの歴史には不明なところが多く、起源から現在まで一筋の流れとして説明できる段階ではないのかもしれない。この本も、多くの新しい知見や著者の推測がちりばめられており、飽きずに読めたのだが、タイトルから期待した「イネの歴史を理解」は達成した気持ちになれなかった。これは著者の責任ではなく、この分野の現状なのかもしれない。

私には植物としてのイネの歴史の話題より、稲作の歴史について言及している部分の方が面白かった。

「私の勝手な想像を書くなら、日本列島では弥生以降も、稲作中心の中央集権国家を作ろうとする勢力と、農耕といえども、たとえば休耕を伴う焼畑のような移動を織り込んだ生業を守ろうとする勢力の間の相克が続いていた。この相克はヤマトに王権ができた4,5世紀ころに始まり、400年ほど前(近世初頭)まで続いた。相克の「後遺症」はその後も残り、さまざまな形での社会的差別として今に及んでいることは多くの識者が指摘している通りである。」(p.179)

「足跡をともなう「水田遺構」の中には、あまりに多い足跡のためイネがどこに植えられていたのかと疑われるものもある。・・・それらはイネを植えていた水田の跡なのか、それとも「かつてイネが植えられていたことがあったが、廃絶の瞬間は休耕されるか別の用途に使われており、足跡は、たとえば魚や他の動物を捕まえるときについて」など、田植えとは関係の無い生産活動(あるいは祭祀とか遊びのような非生産的活動だったかも知れない)の結果と解することもできる。」(p.184)

読んでいて感じたのは、失礼ながら、文章や構成が洗練されていないことだ。「話が横道に逸れたが・・・」といった表現が何度も出てくる。また、
「日本列島における稲作の画期は二つあったと私は考える。ひとつは先にもちょっと書いた中世から近世への転換点でおきたこと、もう一つは縄文時代の最晩期から弥生時代に渡来したであろう水田耕作という技術の渡来である。このうちのどちらが大きいかといわれれば、前者のほう(中世から近世への転換)のほうが大きいと思う。」(p.180)
のように文章の中で同じ語が重複して出てきたりしている。内容が面白いのに、読みにくい。

しかし、この分野の最新でスタンダード(と思う・引用文献などからして)な知識が片手サイズの本で読めるのはお得感がある。

2009年1月1日木曜日

2008年を振り返って:研究

昨年は自分で進める新しい研究は小ネタだけで、主に論文執筆と学生の研究サポートが中心だった。

論文としては、10年近く保全の研究と実践に関わってきたカッコソウとアサザについての論文を一通り出版することができた(いくつかは印刷中)。またアサザについてはこれまでの研究と実践をまとめた英語の解説論文も投稿中である。ここまで研究と論文執筆が進んだのは、並外れた熱意をもってこれらの植物の研究と保全の実践に取り組んでくれた卒業生の方々のおかげである。特にカッコソウのOさん、アサザのUさんTさんは、すぐには論文につながらないような実践活動でも献身的に進めてくれた。後輩・学生ながら、保全生態学者として尊敬している。

アサザもカッコソウも、個体群はまだ安心できる状態では全く無く、今後もモニタリングと保全の実践が続くが、これまでに明らかになったことが一通り印刷物になったので研究者としては気持ちよく仕事ができる。

もう一つ、研究面で昨年進んだことは、自分が委員になって進めている印旛沼の植生再生の実験・実践の成果を、実際に調査をしたコンサルの方を第一著者とした論文にすることができた(正確には論文はまだ投稿していないので「できつつある」)ことである。

行政主催の委員会で研究者が調査や実践の計画を提案し、コンサルが実施し、報告書にまとめられる、ということは数多く行われている。しかし、研究者の肩書きをもつ人間が提案して結果を解釈しているからといって、それが適切であるという保障はまったくない。はっきり言って、世間には問題のある事例はたくさんある。事業の成否を判断できない調査デザインだったり、アセスやモニタリングで明らかに問題のある結果が得られているのに「顕著な問題は認められない」といった結論が明確な根拠もしめされずに導かれていたり。何か、事業や委員会の質を保つ仕組みが必要である。私も行政主催の委員会に入っている立場で何ができるか考えた結果が、事業の途中段階でなるべく多くの論文を書き、peer reviewの仕組みによって質を維持するというものである。

また別の問題として、コンサルの質の問題というのもある。昨今の「随意契約」に対する条件反射的ともいえる素朴な批判にも現れているように、行政による業者発注では「受注金額」ばかりが注目され、業者の質が十分であったかについての評価が適切に行われているとはいえない。私も以前の職場で業者選定の仕組みに触れたことがあるが、少なくとも、生態学的な調査の能力や取り纏め能力を評価して選べる仕組みは無かった。しかし、これはぜったいに必要である。その評価基準の候補として、過去に関わった事業で公表した査読付論文の内容や数、というものが考えられる。近い将来は、「関連した内容の業務についての論文業績」が業者選定の根拠として認められるようになるかもしれない。私はそのようになったら良いと考えている。

そこで私は、コンサルの方を著者とする論文を出版できるように、委員の仕事の一部として、本業以外の時間を使ってなるべくサポートすることにした。これを実現するには、十分な質のデータをとってもらわなければならないのは当然だが、それだけではなく、発注者である行政にも理解が必要である。このことは、最近数年間考えていたが、昨年はその最初の試みがほぼ実現したということで新しい年だった。