関東平野で氾濫原の自然を再生させることを目標に仕事をしている私にとって、日本の低地水田稲作文化のルーツといわれる長江下流域は、もっとも生きたい外国の一つだった。上海行きは二度目だが、前回の訪問は12月で、しかもセミナー参加が主目的だったので、8月に長靴と胴長を持参してフィールドワークに参加する今回の旅行は、実質的に最初の「自然観察」の経験となった。
長江の巨大な氾濫原にある太湖とその周辺の河川や湖沼群が今回のフィールドである。ただし私は九大工学部の島谷教授の研究チームの10日間の調査の最後の3日間だけ参加する形だったので、見ることができたのは、ごく一部だった。しかし、長江河口にある崇明島を訪問一日目、淀山湖をはじめとする長江周辺低地の湖沼群を二日目に見ることができた。この二日間の経験は、氾濫原の自然の理解を深めるのに大いに役立った。
崇明島は長江の河口デルタに発達した中州で、長さ約80km幅約25kmもあり、世界最大の砂洲ともいわれているそうだ。65万人が住む都市であり、それと知らなければそこが島だとは感じられない。島の上流端と下流端に湿地が発達している。上流側の湿地は淡水性、下流側は大部分が塩性湿地だそうだ。この下流側の塩性湿地はラムサール条約登録湿地になっており、クロツラヘラサギをはじめとする多くの鳥の生息場所となっている。
鳥について知識の無い私は、しかし、別の見たい生物があった、Spartina anglicaである。7年前に北京での外来種についての国際シンポジウムに参加した際、中国の複数の研究者がこの植物の侵略性について説明していた。その後、特定外来種法ができた際、まだ日本への侵入が確認されていない唯一の対象種として、この植物が登録された。まだ確認されていなくても、近隣の中国で猛威を振るっていることから、侵入のリスクも、侵入後のハザードの大きいことから対象に選定されたのである。
湿地は長江下流側にあたる東に頂点をもつ二等辺三角形のような形をしており、その北側と南側では環境が異なる。北側は塩性湿地、南側はほぼ淡水性の湿地だそうだ。これは、この島によって長江が2つに分留されており、南側の長江は川幅が広く上流からまっすぐに流れ出てきているために、淡水の押し出しが強いのに対し、北側の長江は細く湾曲した形をしているために、淡水の押し出しが弱く、海水の影響がより強く及ぶためだそうである。
私達がみることができたのは二等辺三角形の中央部、しかも最も陸側の部分だけだったので、Spartinaが特に猛威を振るっているという塩性湿地をみることはできなかった。また、塩生植物が優占する開けた湿地もみることはできなかった。しかし、見渡すかぎりのヨシ原に入り込んだ水路の水際に、見慣れない細い植物が密生している。果たして、Spartina angrlicaであった。淡水域ではヨシが十分によい成長を示すためにこの外来種が優占するのは局所的になるが、ヨシの勢力が弱まる汽水域では、相対的にSpartina有利となるのかもしれない。日本への持込み第一号にならないように、気をつけて長靴を洗い、現地をあとにした。
崇明島には農業用の水路や運河として利用されるクリークが巡らされている。何箇所かに入ってみてみたが、水中にはマツモやトチカガミがみられるものの、水辺はほとんどの場所でナガエツルノゲイトウの群落が認められた。南米原産の外来種であるこの種は、今回の上海調査を通じて、至るところで目にした。日本では印旛沼などの湖沼で大繁殖し、かなりのコストをかけた駆除が行われている。流れの緩やかな富栄養な水の水辺が生育適地らしい。
そのナガエツルノゲイトウが繁茂する「水田」がいくつもみられた。イネは20m四方ほどの水田の中央5m四方ほどの範囲に生えているのみで、その周辺はナガエツルノゲイトウが単独で優占している。最初は、ナガエの侵入でイネが負けてしまったのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。イネが生えている中央部には、ほとんどナガエが混入していないのである。どうも田んぼの中でナガエを積極的に生やしているように見える。
熱心に田んぼの写真をとっている私たちを不審に思った農家のおじさんが通りにでてきたので、同行してくれた同済大学のリャンリャン君に、ナガエツルノゲイトウを育てているのかどうか聞いてみた。その答えを聞いて驚いた。カニのエサだというのだ。えっ!と思って田んぼをみてみると、確かに畦をモクズガニ(チュウゴクモクズガニというそうだ)がカサカサと歩き回っており、畦の上にはカニの脱出を防ぐような柵が巡らされている。切っても切っても再生してくるナガエツルノゲイトウは、草食性のカニには格好のエサになるのかもしれない。直接は食べないとしても、隠れ家としては適しているだろう。カニ養殖のために導入したのだろうか。
どうして田んぼ全部をカニ養殖に使わずに、真ん中で米をつくっているのだろう。島谷先生によると、土地の登記(?)上は稲作用地とされていて、勝手にカニ養殖はできない。特に最近は水質汚染のもとになることでカニ養殖は対する規制は強まっている(太湖では2008年から今年にかけて、カニ養殖が1/5に減らされたとのこと)。どうやら、私達がみたナガエツルノゲイトウを使ったカニ養殖は、「もぐり」の類らしい。
崇明島への往復は大型のフェリーで、片道約1時間半の旅だった。雨だったせいもあるかもしれないが、長江は茶色く濁り、波立ち、対岸は見えず、私が知っているどの川の様子とも違っていた。司馬遼太郎の街道を行く「中国・江南の道」でその描写が印象的だった、波間を跳ね回るような「ジャンク船」を見ることができなかったのが残念だが(もう絶滅したのかな?)。カニの水田漁労をはじめ、刺激的な第一日目だった。
長江の巨大な氾濫原にある太湖とその周辺の河川や湖沼群が今回のフィールドである。ただし私は九大工学部の島谷教授の研究チームの10日間の調査の最後の3日間だけ参加する形だったので、見ることができたのは、ごく一部だった。しかし、長江河口にある崇明島を訪問一日目、淀山湖をはじめとする長江周辺低地の湖沼群を二日目に見ることができた。この二日間の経験は、氾濫原の自然の理解を深めるのに大いに役立った。
崇明島は長江の河口デルタに発達した中州で、長さ約80km幅約25kmもあり、世界最大の砂洲ともいわれているそうだ。65万人が住む都市であり、それと知らなければそこが島だとは感じられない。島の上流端と下流端に湿地が発達している。上流側の湿地は淡水性、下流側は大部分が塩性湿地だそうだ。この下流側の塩性湿地はラムサール条約登録湿地になっており、クロツラヘラサギをはじめとする多くの鳥の生息場所となっている。
鳥について知識の無い私は、しかし、別の見たい生物があった、Spartina anglicaである。7年前に北京での外来種についての国際シンポジウムに参加した際、中国の複数の研究者がこの植物の侵略性について説明していた。その後、特定外来種法ができた際、まだ日本への侵入が確認されていない唯一の対象種として、この植物が登録された。まだ確認されていなくても、近隣の中国で猛威を振るっていることから、侵入のリスクも、侵入後のハザードの大きいことから対象に選定されたのである。
湿地は長江下流側にあたる東に頂点をもつ二等辺三角形のような形をしており、その北側と南側では環境が異なる。北側は塩性湿地、南側はほぼ淡水性の湿地だそうだ。これは、この島によって長江が2つに分留されており、南側の長江は川幅が広く上流からまっすぐに流れ出てきているために、淡水の押し出しが強いのに対し、北側の長江は細く湾曲した形をしているために、淡水の押し出しが弱く、海水の影響がより強く及ぶためだそうである。
私達がみることができたのは二等辺三角形の中央部、しかも最も陸側の部分だけだったので、Spartinaが特に猛威を振るっているという塩性湿地をみることはできなかった。また、塩生植物が優占する開けた湿地もみることはできなかった。しかし、見渡すかぎりのヨシ原に入り込んだ水路の水際に、見慣れない細い植物が密生している。果たして、Spartina angrlicaであった。淡水域ではヨシが十分によい成長を示すためにこの外来種が優占するのは局所的になるが、ヨシの勢力が弱まる汽水域では、相対的にSpartina有利となるのかもしれない。日本への持込み第一号にならないように、気をつけて長靴を洗い、現地をあとにした。
崇明島には農業用の水路や運河として利用されるクリークが巡らされている。何箇所かに入ってみてみたが、水中にはマツモやトチカガミがみられるものの、水辺はほとんどの場所でナガエツルノゲイトウの群落が認められた。南米原産の外来種であるこの種は、今回の上海調査を通じて、至るところで目にした。日本では印旛沼などの湖沼で大繁殖し、かなりのコストをかけた駆除が行われている。流れの緩やかな富栄養な水の水辺が生育適地らしい。
そのナガエツルノゲイトウが繁茂する「水田」がいくつもみられた。イネは20m四方ほどの水田の中央5m四方ほどの範囲に生えているのみで、その周辺はナガエツルノゲイトウが単独で優占している。最初は、ナガエの侵入でイネが負けてしまったのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。イネが生えている中央部には、ほとんどナガエが混入していないのである。どうも田んぼの中でナガエを積極的に生やしているように見える。
熱心に田んぼの写真をとっている私たちを不審に思った農家のおじさんが通りにでてきたので、同行してくれた同済大学のリャンリャン君に、ナガエツルノゲイトウを育てているのかどうか聞いてみた。その答えを聞いて驚いた。カニのエサだというのだ。えっ!と思って田んぼをみてみると、確かに畦をモクズガニ(チュウゴクモクズガニというそうだ)がカサカサと歩き回っており、畦の上にはカニの脱出を防ぐような柵が巡らされている。切っても切っても再生してくるナガエツルノゲイトウは、草食性のカニには格好のエサになるのかもしれない。直接は食べないとしても、隠れ家としては適しているだろう。カニ養殖のために導入したのだろうか。
どうして田んぼ全部をカニ養殖に使わずに、真ん中で米をつくっているのだろう。島谷先生によると、土地の登記(?)上は稲作用地とされていて、勝手にカニ養殖はできない。特に最近は水質汚染のもとになることでカニ養殖は対する規制は強まっている(太湖では2008年から今年にかけて、カニ養殖が1/5に減らされたとのこと)。どうやら、私達がみたナガエツルノゲイトウを使ったカニ養殖は、「もぐり」の類らしい。
崇明島への往復は大型のフェリーで、片道約1時間半の旅だった。雨だったせいもあるかもしれないが、長江は茶色く濁り、波立ち、対岸は見えず、私が知っているどの川の様子とも違っていた。司馬遼太郎の街道を行く「中国・江南の道」でその描写が印象的だった、波間を跳ね回るような「ジャンク船」を見ることができなかったのが残念だが(もう絶滅したのかな?)。カニの水田漁労をはじめ、刺激的な第一日目だった。