「食べ物の提供」はもっとも基本的な生態系サービスの一つである。今回訪問した太湖周辺の湿地帯では、地域でとれる色々な生き物を食べるという文化がしっかりと残されていた。ほんとうに多様な湿地性の動植物を食べ物として利用している。つとめて地元らしいものが食べられるところで昼食や夕食をとったが、植物ではヒシ(トウビシ)、ハス、マコモ、オニバス。動物はもっと多様だ。魚類学者の鹿野さん、中島さんが教えてくれたので、いかに様々な魚を食べているかがわかった。オオタナゴ、ギバチ、ワタカ、ギギ、ドンコ、タウナギ、シラウオ、フナ、コイ、ナマズ、コクレン、、、魚以外ではウシガエル、テナガエビ、モクズガニ、カモ。これらは、どれもこの地域の田んぼの水路や小さな川に生息している生き物たちである。
日本の水郷地帯でも、かつては様々な湿地の動植物が食卓にのぼっていたのだろう。いろいろな生物を直接利用していれば、自然の変化を、もっと多くの人が敏感に感じることができたかもしれない。食べ物が流通の範囲が広がり輸入も増えるのと同時に、人々の地域の自然への関心が薄れ、水田はイネ以外の生物の生息を許さない環境に改変され水質の悪化や水辺の開発で野生の動植物が急速に失われるのと同時に、地域の生物を食べたくても捕ることができなくなってしまった。
「豊穣」という言葉は、低地の湿地がもつ本来の特徴を現すのにぴったりだと思う。過剰になり過ぎない栄養塩が細粒土砂とともに洪水によって運ばれ、堆積し、高い一次生産によって多様な生物が支えられ、かならずしも透明ではない水から、様々な生き物が湧くようにとれる。
治水、利水、圃場整備といった、自然の特定の機能だけに注目した管理によって、多くの生物が絶滅し、人間も豊かな恵みを享受することができなくなった。豊穣の氾濫原を再生させることが、これからの日本でどうしたらできるだろうか。