2009年3月31日火曜日

実験野焼き成功

5m四方の範囲を合計8箇所、首尾よく焼けた。大成功である。


2009年3月29日日曜日

草薙の剣

27日金曜日は浮島湿原での野焼き準備で、プロット設置の続きと防火帯作成を行った。
ここでの研究をすすめてくれるW君が草刈機の使い方を覚えてくれて、とても心強い。

植生管理をするためには火を扱う技術が重要で、火を扱うためには草刈の技術が不可欠だ。適切な場所で草を刈って防火帯としたり、燃料となる枯れ草の量を刈り取りによって制御して火を入れることで、目的とした強さ・範囲の火入れが可能になる。「火の使い方」は保全生態学の技法としてもとても重要。W君は実践的保全生態学者として頼もしい一歩を踏み出した。

肩掛け式の草刈機は使い慣れると本当に便利でありがたい。「草薙の剣」と呼びたくなる。

・・・ヤマトタケルが草薙の剣で野火を難を逃れた神話は、畑あるいは水田管理のために火を積極的に活用し始めたことを表した神話なのではないか、と思っている。草薙の剣はもともとはスサノオがヤマタノオロチを退治して獲得したものとされている。オロチ退治は、八筋に澪を分けながら暴れる川を制御(退治)して、水田を開拓した(奇稲田姫を手に入れた)物語であるという解釈がされている。「東征」に向かったヤマトタケルがかつて(遠い祖先神が)オロチ退治で得た剣を使って「草薙」をした話は、大陸から西日本に伝えられ水田開墾技術が、東国の土着の文化である「火の使用」を取り入れながら、より高度な農業技術として展開した物語なのではないか。。。そう考えるととても面白い。

・・・それはともかく、今回の実験準備で、現代社会で野外で火を使うということがいかに大変かがよくわかった。連絡・通知した先は、土地所有者、市役所、消防署、駐在所、区長さんなど合計9件になる。

実はこの日記を書いているのは作業の2日後。金曜日は過労で寝込んでしまった。明日は防火帯作成の続きを終わらせ、明後日に火入れ予定。

2009年3月25日水曜日

野焼き準備

来週は自分のフィールド(浮島湿原)で小規模な野焼きをする。今日はこの実験を進めてくれるW君とプロットの設置や関連の手続きを進めた。

野焼きのタイミングとしては遅すぎるのは明らかで、一部の植物にはダメージがあるだろう。しかし今年は3月末まで霞ヶ浦の水位が高く維持されていたので、どうしても火が入れられなかったのだ。野焼き実験をするかどうかさんざん迷いいろいろな人に相談したが、実施することにした。

江戸崎消防署に「火災とまぎらわしい煙の届出書」を提出。

2009年3月21日土曜日

渡良瀬、小貝川、浮島

早起きして渡良瀬遊水地の火入れ(野焼き)を見物に行った。途中事故渋滞などがあって予定が狂ったが、なんとか点火に間に合った。


渡良瀬の火入れを見に行くのは初めて。こんなに大きな炎をみたことがない。堤防の上にいても顔が熱くなった。


この規模になると観光価値もあるということか。



火が一段落するところまで見届けて、一路、小貝川へ。1月に野焼きした場所の春植物の様子を見に行く。アマナ、ヒメアマナは開花ピーク、ノウルシは咲き始めというところだった。




その後、どうしても自分のフィールドも見たくなり、霞ヶ浦の浮島湿原へ。ここも継続して野焼きが行われてきた場所だ。しかし、残念なことにここ5年ほどの間は停止している。今年は野焼きしたくても、12月から3月まで霞ヶ浦の水位が高く維持されているため、地表面が冠水して冬季に火を入れることができなかった。


3月末に向けて水位は下げ始めているとのことだが、浮島湿原の地表面はまだ冠水している。多くの植物は発芽したい季節なのに。せっかく渡良瀬、小貝川と楽しい観察をしたのに、しょっぱい気持ちで帰宅することになった。

2009年3月20日金曜日

お祭りすんで・・・

生態学会盛岡大会が終了。
収穫が多い学会だった。自分がそのようなテーマを特に選んで聞きに行ったせいもあるかもしれないが、形質ベースのアプローチに向かい始めた人が多いように感じた。生物多様性と生態系機能をつなぐ研究が本格化し始めたということかもしれない。

2000人規模の学会で、同じ時間にたくさんのセッションが重なるから、面白い発表のありそうな部屋を見極めるのが重要だ。さいきんは少し目が肥えてきたのか、なかなか良い選択ができるようになってきた気がする。いろいろと新しい情報を仕入れることができた。

ポスター発表でいろんなジャンルの生態学の発表を眺めると、解析やアプローチが練れていない発表は「保全」のテーマに集中して多かったように感じた。もちろん保全でもしっかりした研究はあるのだが。理学以外の分野を背景とする研究室の発表が多いせいだろうか。 「保全のテーマならちょっとレベルが低くても許される」という風潮にならないように気をつけなければ。保全の現場では研究のための理想的なデザインにできない場合が多いが、制約のもとでベストな解析手法を検討する必要がある。幸い、現在は限られた情報から(無理な当てはめをせずに)解析する手法も提案されている。

毎回のことながら生態学会は本当に楽しい。そして、3月というタイミングが良い。新しい情報や着想を得て、来年度の仕事を考えることができる。

2009年3月14日土曜日

今年最初の渡良瀬

渡良瀬遊水地と栃木県の小山西高校に行ってきた。

高校で来年度から実施する環境教育のプログラムに協力することにしており、その準備。今日はシードバンクの調査のための土壌の採取と、実験装置への撒きだし作業をした。さいしょに氾濫原の攪乱依存植物の生き残り戦略の話などしたのだが、とっても真剣に聞いてくれて、とても楽しく話すことができた。実験準備の作業では最初にそれぞれの作業の目的を説明したら、けっこう自分たちで工夫しながら作業をしてくれて、とても感心した。来年度は何度か渡良瀬と小山に行くことになりそうだが次の機会が楽しみである。

2009年3月2日月曜日

地域動植物史

来年度の学生実習で新たなフィールドにする兵庫県豊岡市から取り寄せた大部の「豊岡市史(上下巻)」を数日がかりで読んだ。読んだといっても全てを精読したわけではなく、実習の内容と関連しそうな部分を探しながら全ページをめくっただけだが、それでも地域の歴史の概要を知り、風土の特徴をなんとなく理解することができた。

このような市町村史は全国で編まれていて、それぞれの地域の歴史を知る上で背景となる自然の特徴や、社会の成り立ちと変遷を知ることができるというのは、ほんとうに素晴らしい。同時に、市町村史の編纂には多くの、ある程度専門的な知識のある人が携わったのだから、そのような分野(自然・人文地理学、歴史学、考古学といったあたりかな?)は層が厚いんだろうな、と思った。市町村史を全国で編むことになった経緯は知らないが、専門教育を受けた人の就職先確保にもつながったんじゃないかな。

地域動植物史を全国でつくったらいいと思う。現状を記録した「生物誌」ではなく、歴史を検討した「史」。地域ごとに、過去に分布していた生物を文書資料、標本、地形の変化などから検討してまとめる。難しい検討になるが、たとえば自然再生の目標を考えるときなど、とても有益な資料になるだろう。全国で組織的に実施して、自然史の教育を受けた人の就職先確保にもなるといいのに。