2009年1月2日金曜日

「イネの歴史」読了


イネの歴史を体系的に知ろうと思ってこの本を読んだのだが、その目的は充たされなかった。そもそもイネの歴史には不明なところが多く、起源から現在まで一筋の流れとして説明できる段階ではないのかもしれない。この本も、多くの新しい知見や著者の推測がちりばめられており、飽きずに読めたのだが、タイトルから期待した「イネの歴史を理解」は達成した気持ちになれなかった。これは著者の責任ではなく、この分野の現状なのかもしれない。

私には植物としてのイネの歴史の話題より、稲作の歴史について言及している部分の方が面白かった。

「私の勝手な想像を書くなら、日本列島では弥生以降も、稲作中心の中央集権国家を作ろうとする勢力と、農耕といえども、たとえば休耕を伴う焼畑のような移動を織り込んだ生業を守ろうとする勢力の間の相克が続いていた。この相克はヤマトに王権ができた4,5世紀ころに始まり、400年ほど前(近世初頭)まで続いた。相克の「後遺症」はその後も残り、さまざまな形での社会的差別として今に及んでいることは多くの識者が指摘している通りである。」(p.179)

「足跡をともなう「水田遺構」の中には、あまりに多い足跡のためイネがどこに植えられていたのかと疑われるものもある。・・・それらはイネを植えていた水田の跡なのか、それとも「かつてイネが植えられていたことがあったが、廃絶の瞬間は休耕されるか別の用途に使われており、足跡は、たとえば魚や他の動物を捕まえるときについて」など、田植えとは関係の無い生産活動(あるいは祭祀とか遊びのような非生産的活動だったかも知れない)の結果と解することもできる。」(p.184)

読んでいて感じたのは、失礼ながら、文章や構成が洗練されていないことだ。「話が横道に逸れたが・・・」といった表現が何度も出てくる。また、
「日本列島における稲作の画期は二つあったと私は考える。ひとつは先にもちょっと書いた中世から近世への転換点でおきたこと、もう一つは縄文時代の最晩期から弥生時代に渡来したであろう水田耕作という技術の渡来である。このうちのどちらが大きいかといわれれば、前者のほう(中世から近世への転換)のほうが大きいと思う。」(p.180)
のように文章の中で同じ語が重複して出てきたりしている。内容が面白いのに、読みにくい。

しかし、この分野の最新でスタンダード(と思う・引用文献などからして)な知識が片手サイズの本で読めるのはお得感がある。