関東平野での米づくりについてもう少し深く知りたいと思い、いくつか本を入手した。私の関心は稲作そのものよりも、田んぼが氾濫原の生物のハビタットとしてどのような特徴・多様性を持つものだったのか、それが、いつどのように変化したのか、ということにあるのだけど。
今はこれを読んでいる。
専門外で基礎知識がない分野なので、誤解しているかもしれないけど、印象に残った内容をメモする。
- 谷戸・谷津の水田は、湧水源があるものの、それを貯めると大変な深田(フケタ=一年中水が引かない田)となるため稲作は容易ではなかった。
- 谷津や自然堤防周辺の水田では、苗植えではなく、摘田(ツミタ=直播)が少なくとも明治期ごろまで行われていた。
- 稲作には苦労を伴う谷津田だが、もっとも原始的で安定した水田でもあった。
谷津田(特に谷の奥の湧水点付近)と、河川周辺の平田では、米の生産方法にもだいぶ違いがあったようだ。土地の来歴に加えて管理の違いも水田の生物に影響していたに違いない。
谷津田と平田の管理の実際についてもう少し詳しく知りたい。中世以降の水田雑草や害虫についての文献はないのだろうか。どなたかご存知でしたら教えてください。