氏家(栃木県さくら市)の勝山城址にある「さくら市ミュージアム」で講演をさせていただく。
その後、勝山城址の植生管理について相談。城跡はごく最近まで、地域の人が薪をとったり、堆肥のために落ち葉をとったりする共有地として管理されてきたそうだ。廃城になっても地域の生活をまもってきた森をこれらからどう活用するか。そこに生物多様性の視点をどこまで入れられるか。
勝山城は、鬼怒川のなかでも扇状地の河原の自然がもっともよく残されている場所に隣接している。勝山城址と隣接する河川公園の一帯は、うまく計画すれば森の生物から水辺の生物までを含む保全拠点にもなるだろう。これからの議論が楽しみだ。10/31
東邦大学で保全生態学を勉強している西廣淳のブログです。更新は断続的です。頻繁な情報発信はフェイスブックとツイッターでしております。 | Facebook https://www.facebook.com/jun.nishihiro | Twitter https://twitter.com/jnishihiro | 本業のウェブページ http://www.lab.toho-u.ac.jp/sci/env/coneco/
2009年10月31日土曜日
2009年10月19日月曜日
印旛沼10月
オニビシ調査・種子採集で印旛沼(一本松)へ。
現場に着くと湖岸に枯れたオニビシが累々と堆積していて驚いた。
おそらく、ちょうど枯れかかっていたオニビシが先日の台風で湖岸に打ち上げられたのだろう。厚さは6,70cm、幅20mぐらいで帯状に堆積していた。とんでもない量である。
しかし、台風で打ち上げられなかったらこれがぜんぶ湖の中に沈んでいたと思うと、改めて水草の枯死体による有機物供給量の多さを感じた。
この場所では枯死した水草がヨシ帯に打ちあげられ、分解されていたいが、もしコンクリートの垂直護岸だったら、これらは湖の中に堆積していただろう。護岸の形状は湖から陸への波による物質移動に影響するということに気付いた。
2009年10月14日水曜日
最近・・・
豊岡、三方湖、北海道、鬼怒川と調査や作業が続いて、早稲田の授業もはじまり、あまりに忙しくて書きたいことがあっても書けない。備忘のために一言だけ書いておこう。この間、最も印象に残ったのは日高のフイハップ海岸の改変である。数年前までいろいろな海浜植物、湿地植物がみられた砂丘と後背湿地が、護岸工事や砂の採取のため、見るも無残に破壊されつつある。ほんとうにつらい景色だった。
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