2011年11月23日水曜日

稲刈り

うちの子どもたちも大好きな矢野さん・さかいさんにお誘いいただき、石岡まで稲刈りに。
特別な品種ということで、こんな遅い時期で良いみたい。


刈り取って、


運んで、干して、


珍しい!千歯扱きなんて使わせてもらって、


ソフトボールをつかった籾摺りをやらせてもらって、


大満足の一日でした。

2011年7月25日月曜日

日常の心配事

原発事故のせいで、日常の中の「心配事」が増えた。
自分の子どもたちに何度も心の中で「困難な時代を渡すことになってしまって、ごめんね」と言っている。でもよその子どもには「ごめん」ではすまない気持ちだ。

私は脱原発を目指すべきだと思っている。
ついでに言うと、脱自動車社会も目指すべきだと思っている。
(「オール電化住宅」に住み、明日も自動車で出張なのだけど。)

2011年7月24日日曜日

今日は家族で市内の「岡発戸の谷津田」に自然観察に。


チサトもたくましくなったものだ。


田んぼの水でプランクトン観察。


サキもちょうちょに手が出るようになってきた。

色々な生き物がいるこんな谷津田が市内にあって、やはり我孫子は良いところ。

ブログ再開

4月からこれまでの出張の多さは尋常ではなかった。霞ヶ浦に8回、一関に6回、三方湖に2回、豊岡、札幌、桐生、福岡、、。陸前高田に瓦礫撤去のボランティアにも行った。前の出張から日を開けずに次の出張に行く時、チサトに泣かれたこともあった。

その間、日本語の解説論文と本の分担執筆を提出し、いまは今月末まで締め切りを延ばしてもらった別の分担執筆に取り組んでいる。これらは、かなりの部分を移動中の電車で書いた。

さいきん、締め切りを守れないことが多くなっているので、とても反省している。とても忙しいのにいつも締め切りをきちんと守る北大のN先生が言っていた「締め切りを守っていないと新しい仕事のチャンスを逃してしまう」という言葉を肝に銘じよう。

2011年3月27日日曜日

早春の小貝川

原発災害で気が休まらない毎日ですね。気晴らしにこんな写真が撮りたくなり、

1月に火入れをした小貝川に行ってきました。




ノウルシは咲き始め


アマナは盛りの一歩手前


ヒメアマナはまさに盛り


トネハナヤスリも顔を出してきた


ヒキノカサはこれからが本番


子どもらをどのくらい「外遊び」させるか残念ながら悩んでしまう時勢ですが、今日は思い切り遊ばせることにしました。


チサトの観察力はなかなかのもの。最初にセイヨウアブラナの花を分解しながら花の仕組みを説明したところ、虫眼鏡でいろいろな花を調べ、ヒメアマナを見ては「これは萼がない!」、アマナを見ては「おしべの数と花びらの数がいっしょだ!」と。

2011年3月14日月曜日

地震

我が家の「本が崩れる」


我が家ではこのほか、食器がいくつか割れ、壁にひびが50カ所ほど入った。
こんな酷いことが起きたときに出張だったなんて。留守番をしてくれていた妻と子どもたちの心のことを考えると言葉が出ない。

ところで、上の写真、この混沌の中の「エントロピーとは何だろうか」がなんとなくシュール。

2011年3月11日金曜日

生態学会

ありがたいことに、「日本生態学会大島賞」をいただくことになり、札幌での日本生態学会大会で受賞講演をいたしました。冒頭ではたしかこのような挨拶をしました。

「保全生態学は今でこそ生態学会の中でもごく普通のテーマとなりましたが、ほんの10年前には、生態学会の中で少なくとも主流ではありませんでした。私自身も、大学院時代から、指導教員だった鷲谷いづみ先生が始めた「保全生態学研究会」のお手伝いをしてきましたが、少なくとも大学院時代は、自分が大好きな「生態学の研究」と「保全という社会的課題」の間にはだいぶ距離を感じていました。研究の世界へのあこがれが強かったこともあり、保全のような応用分野を、基礎生態学より下に見る気持ちもあったように思います。
 しかし、学位をとって最初に就職した建設省の研究所で考え方が大きく変わりました。開発と保全がせめぎ合う最前線にかかわることになって感じたのは、不遜ではありますが、『現場ではこれほど生態学の知識や生態学的な考え方が必要とされているのに、生態学者がそのニーズにあまりにもこたえられていない』ということでした。
 それ以降は『生態学の視点からの社会への情報発信を積極的にすること』とともに、『生態学の中で保全生態学を主流化すること』を、特に意識して研究や活動をしてきました。このたび生態学会からこのような賞をいただけたことは、そのような面を含めて認めていただけたものと解釈して、とてもありがたく思っております。」

2011年3月6日日曜日

妙岐の鼻の火入れ(ヨシ焼き)

2006年から停止していた霞ヶ浦、浮島湿原(妙岐の鼻)での野焼きが、国土交通省が主体となり非常に小規模ながら再開へ。生物多様性、伝統技術、伝統産業の保全・再生に向けた重要な一歩を踏み出した。


火入れ前


火入れ中


火入れ後


みなで様子を観察


地表面のミズゴケ(ヒメミズゴケ)は焼けない。日があたって喜んでいる。

2011年2月27日日曜日

好文亭の屋根

水戸市環境フォーラムの集会で話題提供者としてお声かけいただき、水戸へ。
午後の会合の前に偕楽園に立ち寄り、どうしても撮りたかった写真を撮った。

偕楽園好文亭の「萱葺」屋根。良く見るとわかる。単なる「ヨシ」ではなく、カモノハシを主体とした「しまがや」である。霞ヶ浦・浮島湿原(妙岐の鼻)産に間違いない。霞ヶ浦の生物多様性と伝統産業が、水戸の重要建築を支える。









ところで「講演ではからなず一箇所は笑いをとる」という目標を、最近は一応クリアーしている。

2011年1月23日日曜日

小貝川と菅生沼の野焼き

1月22日は小貝川、23日は菅生沼の野焼き。
22日は家族全員で参加。私は小貝川はメガホンを持って陣頭指揮。「ヨシ原の中に残っている人はいませんねー!」の呼びかけに、チサトは堤防から大声で「オッケー」。なかなかの助監督ぶりを発揮していた。サキも楽しんでいたようだ。


23日の菅生沼は私は咳が酷いので欠席(サキと留守番)。チサトとミホが参戦した。
こちらでもチサトは活躍したようだ。

(撮影は小幡智子さん)

2011年1月16日日曜日

スズメの食べ物を調べてみよう

1/16-17はキシュウスズメノヒエ対策の打合せのため、私は雪の豊岡へ。

お父さんのいない日曜日、子どもたちは自由研究をしていたらしい。

発端は「スズメさんが砂を食べてるよ!」というチサトの発見らしい。砂の上に何かあるのかもよ~という妻の助言で、砂に混じっているものを調べてみようということになったそうだ。


サキも真似して砂の観察。(ちなみにチサトが使っているのは虫めがねだが、サキが目に当てているのはアイスのスプーン。)
スコップ2掬いの砂から、11個の草の実を見つけたそうだ。
立派な土壌シードバンク調査(しかもハンドソーティング直接計数法)ではないか。
チサトは「砂にはいろんな色や形のものがある」ことも発見。