2010年4月4日日曜日

4.5m鋤簾

4月2日は三方湖でヒシ調査。

底質中のヒシ果実を採集するために柄の棒を継ぎ足してつくった超ロング鋤簾。
漁師さんにも笑われた。

2010年3月28日日曜日

モニ1000とシイタケの日

モニタリングサイト1000の調査で霞ヶ浦・浮島湿原へ。もうノウルシが咲いていました。小貝川より少し早いみたい。

午後は石岡に行きTYさんからシイタケの原木をたんまりいただき、ついでに菌の調達まで頼んでしまいました。原木を車に積み込みながら、中学生時代「しいたけ委員」だったことを思い出しました。私が卒業した東庄中学校では1年生は花卉(菊栽培)、2年生は畑で芋や野菜の栽培、3年生は椎茸栽培をしていたのです。しいたけ委員会は放課後遅くまで残り、菌の植え付けをしたり、原木の積み上げをしたりしました。菌を植え付けた上から塗るための蝋を鍋で煮溶かしていたっけ。今でもシイタケの原木をみるとパラフィンのにおいを思い出すことがあります。

2010年3月27日土曜日

タネの見分け

自宅で印旛沼湖底から採取した種子サンプル処理。オニビシの種子数をちーといっしょに数えた。途中でちーが「あれ?これ違うねー」というので見てみると、オニビシのサンプル中にヒシの種子が混ざっていた。お前はすごいな!

うちの子はタネが好きで、それは母親の影響だと思う。

妻の種子同定能力には本当に驚く。先日も、これはわからないだろうと思って研究室で食べたバンレイシのタネを持ち帰ってみせたら、一瞬で「チェリモヤだ。バンレイシでしょ。」だって。知り合いの顔はすぐ忘れるのに一度見たタネは忘れないようだ。

2010年3月26日金曜日

保全生態学研究会の解散

生態学会東京大会の一連の行事が終わった。

初日の委員会から、最終日の自分が企画担当者を務めた公開講演会まで気が抜けない一週間だった。いろいろなことがあった今回の大会だったが、自分にとって最大のできごとは、20日午前に行われた保全生態学研究会の解散イベント「保全生態学の技法」自由集会だった。じつは午後の公開講演会の準備のため私自身はこの集会に参加できなかったのだが、保全生態学研究会が解散したという出来事は、自分にはとても大きなことなので。

「保全生態学の和文の学術雑誌をつくろうと思うんだけど、手伝ってくれますか?」修士論文が一段落した1995年度末に、指導教員の鷲谷先生に声をかけられたのが始まりだった。その少し前に「保全生態学入門」の草稿を読ませてもらい、先生の並々ならぬ「決意」を感じていたのだが、ついに動いたんだな、と思ったのを覚えている。

「保全生態学研究」の発行を主な活動内容とする「保全生態学研究会」は1996年4月に結成された。私はずっと事務局として名簿の管理などの庶務や雑誌の編集を手伝ってきた。一つ後輩のS.A.さんと夜中まで作業をしたことを昨日のように思い出す。はじめは小規模なサークル活動だった研究会は、その後急速にメンバーが増え、発足から6年後には500人に達した。そして、少なくとも生態学会くらいの範囲では「市民権」を得た2003年に、「保全生態学研究」の発行権を日本生態学会に委譲した。

それでも研究会は、生態学会での自由集会の開催などの活動を続け、保全生態学の新しい方向性を提案してきた。一方、生態学会に発行主体が移った「保全生態学研究」は、松田先生、湯本先生、角野先生という名編集長のおかげで、学会の第二和文誌として知名度がどんどん上がり、生態学会員の増加にも貢献するようになった。投稿数も増え、表紙もきれいなカラー写真になり、魅力的な雑誌に成長したと思う。同時に、当初は「あやしまれて」いた保全生態学という研究アプローチは、生態学会の中の主流の一つとなった。これは昨今の大会の一般講演の傾向を見てもあきらかである。

私が学生の頃、2つ後輩のC.M.さんが保全を目的としたテーマで博士論文を書きたい、と言い出した時に、周囲の先生方から、それでは学位審査が通らないから保全の研究は研究者として自立してからにすべき、と言われていた。それも今は昔である。

この段階に来てようやく、鷲谷先生のつくった「保全生態学研究会」は、日本における保全生態学の紹介と普及という当初の役割を終えたと感じるようになった。もうこの会がなくても、日本から保全生態学の火が消えることはない。

しかし保全生態学研究会は、まだ2003年までに会員の皆さまからお預かりした会費をもっていたので、簡単に「おしまい」にはできない。なんとかこの会費を、保全生態学研究会の設立趣旨にかなう使途で使わなければいけない。いろいろと議論したが、最終的に選んだのは、「保全生態学の実用書を作成し、会員の方々に無料配布する」というものだった。こうして作られたのが「保全生態学の技法:調査・研究・実践マニュアル」である。私は編者・分担執筆者としてこの本の作成に関わることができた。

この本のあとがきには次のように書いた。
「従来の生態学の立場から「保全」に手を広げた世代を第一世代とすれば、本書の分担執筆者の多くは、この分野を最初から志して学問の世界に飛び込んだ「保全第二世代」ともよべる気鋭の若手研究者である。「現場に役立つ研究を進める」使命感をもち、最先端の知見・技術を日々貪欲に収集し、自ら新たな挑戦を続けている執筆者らの「現時点での最新のまとめ」である本書が、保全の研究者や実践者にとって実用的な手引きとなると同時に、これから保全生態学を目指す学生・研究者にこの分野の魅力と価値を感じてもらうきっかけとなれば幸いである。」
そうなったら、ほんとうにうれしい。

これからまた、少しずつ進もうと思う。

2010年2月25日木曜日

国交省への意見提出

1)幅広い治水対策案の具体的提案
「自然と共生する総合的治水対策」
 治水・利水・環境に総合的に寄与する新しい治水対策案として「氾濫原湿地の再生」を挙げたい。河川や湖沼周辺の氾濫原湿地は、一時的な貯留による下流への流量低減機能(治水効果)、湿地生態系による水質浄化機能(利水効果)、多くの絶滅危惧種を含む氾濫原依存種のハビタット維持機能(生物多様性保全効果)、さらにレクリエーション効果や教育・学習効果をあわせもつ。氾濫原湿地は、農地や宅地の確保を重視する社会情勢を背景として全国の河川・湖沼から急速に失われたが、人口減少がはじまるとともに集約的土地利用技術が進んだ現代であれば、その再生の機は熟しているものと考えられる。
 氾濫原再生は、多くが農地・宅地に利用されている堤内地だけでなく、堤外地でも効果的である。近年では、堤外地に自然的立地が残されている場所でも、水位や冠水頻度の低下により乾燥化・安定化し、侵略的外来生物が優占するようになり、生物多様性が急速に低下している(たとえば渡良瀬遊水地の乾燥化や鬼怒川中流域における河岸の高水敷化)。そのような場所では、地盤の掘り下げなどによる氾濫原再生が、治水・利水・環境を鼎立させる効果をもつ。
 今後に予測されている気候変動に鑑みると、ダムや堤防で溢水を完全に防ぐのは莫大なコストをかけても困難であると思われる。その費用を(一部でも)湿地再生事業・農地補償・移転補償に充てれば、治水・利水・環境のすべてに寄与するwin-win事業が可能になるだろう。

2)新たな評価軸の具体的提案について
「科学的なコスト―ベネフィット評価に向けて」
 これからの河川事業は、治水・利水・環境のいずれかに特化するのではなく、すべてを視野に入れた総合的なものとすべきである。そのためには、ある管理施策が治水・利水・環境のそれぞれにもたらす経済的、社会的、ならびに環境上のメリットとコストを、事前に科学的に予測し、広く利害関係者に公開し、合意形成に基づいて決定し、順応的に進める必要がある。そのための評価軸は複数必要であり、実践を通してその有効性を科学的に検証し、高度化させる必要がある。短期的には効果があっても長期的にはマイナスになる場合もあるため、評価の時間スケールも重要である。
 生物多様性や生態系への効果の評価は、治水(被害軽減効果など)や利水(水量・水質など)と比べて不確実性が高い。しかし、近年では生物群集の評価指標、指標種の科学的選定手法とその個体群評価指標、生態系機能に関する指標の開発研究が進み、されに、それらのモニタリング技術の高度化研究も急速に進んでおり、河川管理の現場での活用が可能となっている。