2013年2月28日木曜日

はる~!

小貝川(野焼きをした場所)と、霞ヶ浦浮島妙岐の鼻(今年不審火で広範囲が焼けた場所)に行き、地表面の温度測定のセッティングをしてきた。

でも本当はもっと早くやるべきでした。もう春ですよ。

ノウルシの芽だし

にょろにょろ生えてきたのはアマナ

2013年2月16日土曜日

「科学的に正しい」?

「科学的にみて間違った活動が行われている」と憤る研究者は多い。でもこの批判はおかしい。

たとえば「川の石を磨いて藻類をはがして川をきれいにしましょう」という活動があったとする。確かにご飯を吹き出してしまいそうな話だ。しかし、これを「間違い」とする判断が成り立つのは、たとえば「多様な生き物が暮らす川がよい」といった特定の価値観を前提とした場合に限られる。もし「子どもが足を滑らせにくい川がよい」という価値観を前提とすれば、道理にかなった行為と言えるだろう。科学は、ある行為をすればどのようなことが起こるか予測することに役立つだけで、その行為が「正しい」かどうかにの判断材料はもたらさない。

自然科学の研究者には、自分自身が対象への強い思い入れがあって研究の道に入った人や研究対象に感情移入してしまう人が多く、また大学や学会といった社会全体から見たらかなり均質な集団の中で暮らしている人がほとんどだから、特定の価値観にとらわれていることに無自覚になりがちである。生態学会にいたら「多様な生物がいたほうが良い」、陸水学会にいたら「栄養塩が高すぎない水が良い」みたいな感じかな。でも、それらは社会に存在する多様な価値観の一つに過ぎない。

とある陸水学者に、「そんなことをしたら溶存酸素が低下しますよ!」とすごい剣幕で言われたことがある。その時は、この人は「溶存酸素が高いことは善」という世界で生きていて、それ以上の空想力がないのかなあと思った。

自然科学者だけではない。一部の環境社会学の人たちがもつ「役所は悪」「伝統的文化を守ることは善」みたいなのもそうだろう。

研究者が特定の価値観をもってはいけないとは思わない。むしろ、価値観に依拠せずに研究テーマを選ぶことは難しいと思う(というか「価値観」の定義を突き詰めたら「不可能」ということになるんじゃないかな)。重要なのは、自分が特定の価値観に依拠しているということを自覚することだと思う。その自覚をもたずに、「『科学的』にみて正しい/間違っている」というのは、「科学」という権威の濫用だろう。でも、「科学的」という言葉をそのように暴力的に使う研究者は意外に多いみたい。よろしくないですね。


私は「生物多様性を大切にする社会は人間にとって良い社会だ」と思っている。しかし、これは仮説だし、その仮説を重視するのは私の「特別な」価値観だと思っている。この仮説の検証につながる研究をしたいと思っている。また、価値観の異なる方々への語りかけを続けたいと思う。

「その行為は科学的に間違っています」ではなく、「その行為は生物多様性を損なう可能性があります。生物多様性が失われると何が困るのか、十分にはわかりません。しかしわかった時には取り返しがつきません。将来のためになるべく幅広い選択肢を残しませんか。」と。・・・・長いよなあ、説得力がないよなあ。

2013年2月14日木曜日

野焼きの効果がもうすぐ見え始める

野焼きができたところ(小貝川水海道)も、期せずして燃えてしまったところも(妙岐の鼻)、今年は草刈りだけだったところも(菅生沼)、もうすぐ春ですね。

「おもしろき 野をばな焼きそ古草に 新草まじり生ひは生ふるがに(万葉集、東歌)」

2013年2月13日水曜日

朝日新聞「カワウソ日本にもう一度」の記事

今日の朝日新聞の夕刊に載っていた標記の記事に強い違和感。

東京農大の安藤教授という方が、ニホンカワウソとユーラシアカワウソの遺伝解析の結果を踏まえて、別種として区別するほどの差異はなく、亜種とするのが妥当と発表したそうだ。そこまではいい。問題はその教授のコメント「別種の導入は国際的にも認められないが、亜種なら可能。導入に向けて動くなら今だ」ですと。

根本的な誤りは、再導入の可否は社会的な課題であるにもかかわらず、あたかも自然科学から答えが出せるかのように述べている点にある。生物の導入は生態系の様々な側面、ひいては提供される生態系サービスに影響する。生態系サービスの間にはトレードオフがある。相互にトレードオフがあるサービスのどれを重視するかは、人間の価値観に依存する。そのため、関係者の議論と合意形成を通して決められるべきである。DNAの類似性の情報、種/亜種といった分類の情報は、特定の生態系影響評価の参考にはなるが、それで導入の可否が決められるわけではない。

教授の顔写真の隣には「その辺の川でカワウソの親子が泳いでいるのを見てみたい」という言葉が。まさに「価値観」の表明である。科学者個人の価値観を主張する根拠に「科学」を使っちゃうの?

さらに言えば、「種」か「亜種」かというのは相対的なものでしかない。塩基配列の類似性という連続的な物差しの上に、便宜的に引いた区切りである。そのような基準で提言するのは疑問。

さらにさらに、「国際的に認められる」ということを根拠のようにあげている点。。まあ、何というか、情けないです。

このように突っ込みどころ満載。しかもこの記事では、環境省のコメントとして「自治体の判断で自然に放つことはできる」などという表現まで出てきてほんとうに残念だ。

2013年2月3日日曜日

テストの採点

今年も担当授業のテストを「記述式」にしてしまった。採点が大変になるが、学生の理解度がよくわかるからだ。

採点は、まず読むだけでも大変だが(今年は101名受講)、採点基準の一貫性を保つのが大変。一通り採点を終えたら、得点順に並べ替え、得点と内容の整合性をチェックし、必要に応じて補正する。

2013年2月2日土曜日

息子との会話

息子「ことわざ一つだけ知ってるよ『石の上にも三年』」

私「どういう意味?」

息子「石の上にすわるのはつらいけど、ずっとがまんしていると、いいこともあるんだよ」

私「いいことって?」

息子「しんしゅのコケをみつけるとか」

新種のコケ・・・新種の、コケ!!

2013年2月1日金曜日

三方出張

三方五湖自然再生協議会の部会のため、若狭町へ日帰り出張。
いろいろと課題の多い事業だけれど、感心するのは福井県の自然環境課の方の活躍。
心のこもった仕事。ほんとうにすばらしい。