金井典美著 湿原祭祀第二版 を読了
稲作を中心に文化を発達させてきた日本では、湿原を聖地として祭り、占い、崇拝の対象としてきた。このことを多くの実例に基づいて解説した本である。いくつか大胆な推論を述べているところもあるが、高層湿原を見たときに神秘性を感じたり、ヨシ原に分け入ったときに豊饒のイメージを感じたり、という個人的な経験から、とても納得のいく内容だった。
本書では、湿原聖地の代表的なタイプとして、次の二つを取り上げている。一つはカヤツリグサ科やイネ科の植物がまばらに生える高層湿原である。東北日本では、里が旱魃の年でも湿潤を保ち、稲に似た植物が生える山頂の高層湿原は、「神の田んぼ」として信仰されてきた。豊凶の占いに用いたと考えられる古銭などが、このような湿原で多く発見されているという。山頂の湿原の地名に「田代」「苗代」と言葉が含まれていることが多いのは、そのような風習の名残らしい。(そういえば田代山の山頂にも綺麗な湿原があったなぁ。)著者は、このような「山上の神の田んぼ」の存在は、雲南省や熱帯アジアで発達した山岳地帯での稲作が日本に伝播したことを反映したものではないかと考察している。
もう一つの代表的な湿原聖地は、ヨシ原である。古事記や日本書紀に書かれているように、日本の国土は、当初は水面に浮かび漂う多くの浮島で、それらはヨシが生えることによって固定されたものという国土観が古代から存在した。この物語を想起させるような湿原、たとえば実際に浮島(floating island)をもつ湿原や、ヨシが水面の中にまとまって島のような景観を形成している場所は、聖地とされることが多かったそうだ。
ヨシ原となるような低地の湿地は、田んぼとして開墾されてきた場所であり、そこの地母神として、湿地そのものや湿地に多い動物であり水の象徴でもあるヘビ、湿地の植物が信仰の対象とされてきた。植物としては、特にスゲ類がよく信仰の対象となり、名前に「菅」を含む神社が多いのはその反映だという。著者はスゲ類が重視されている背景には、スゲが多く生育している場所は稲作に適しているなどの理由があったと考察している。
古代の人々が、稲作に適した場所を探すときに、その場所に生育していた植物種・成立していた植生を手がかりにしたと想定するのは妥当だろう。ヨシは生育適地の幅の広い植物だから、ヨシだけを手がかりにしたのでは、最適な場所を見つけるのは難しかったかもしれない。その点、日本に約250種が分布し、それぞれが微妙な環境の違いに対応して分布しているスゲ類(Carex)は、よい「指標種」となった、と考えるのはスゲ好きの私には楽しい空想だ。たとえば、千葉県北部・茨城県南部を見る限り、オニスゲは谷の水源付近に多い。このようなスゲは安定した湧水源の指標になるように思われる。
湿地を聖地とした習慣の証拠は、弥生・縄文時代まだ遡れるという。本書で特に面白く印象に残ったのは、弥生時代に盛んにつくられた銅鐸についての考察である。銅鐸は祭祀の道具と考えられているが、丘陵の谷に臨んだ水辺の傾斜地、小さな湿原のやや上方、湿生草原の辺縁部から出土することが多いという。ここで著者は、銅鐸を谷間の水田そのものを象形した祭器であるという推測を述べている。つまり、台形をした銅鐸の形は、谷の水源地から里に向かって扇形に広がる水田の形を現しているというのだ。谷津の湧水点にあたる銅鐸の上端部分に、目を象った模様があるものもあるという。この推測の妥当性は専門外の私にはわからないが、これまで特に意識しなかった「銅鐸の形」が自分のフィールドの地形を象っているのかもしれない、と思うだけで、とても楽しくなった。
湿地のフィールドワークのお守りは、「台形の鈴」がいいかもしれない。