保全生態学のパラダイムは、「自然保護の時代」「生態系管理の時代」「レジリエンスの時代」にわけると理解しやすいように思う。これらは誕生順にならべたが、前の概念が古いものとして否定されたわけではなく、後のものが付け加わってきた。その意味では、「パラダイム」という言い方は適切ではないかもしれない。「モデル」と呼べば無難だが、個々の研究ではなく研究の「流れ」に影響する概念モデルという意味で、パラダイムと仮に呼ぶ。
生物多様性の位置づけも変化した。自然保護パラダイムでの「生物多様性」は、漠然とした存在だった「急速に失われているもの」「残したいもの」を一言で表す便利なことばとして流布した。生態系サービスのバランスと持続性を考える生態系管理のパラダイムでの「生物多様性」は、サービスを生み出す源泉として位置づけられたが、同時に、生態系の機能・サービスの生成機構を研究するほど、生物多様性そのものの必要性はあいまいになるジレンマがあった。端的に言えば、生態系の機能にとっては、希少種よりも普通種の方が重要なのだ。たいていの場合。
レジリエンス重視のパラダイムでは、外力をうけてもやがて元の状態にもどれる生態系が目標とされる。レジリエンスの高いシステムがもつ一般的な性質についての議論も進んでいるが、「撹乱後の復活」という長期的な現象の探求は難しい。レジリエンスの高い生態系の姿は、順応的に追求することになる。
順応的管理には、出発点となる仮の目標の設定が必要となる。「長い年月をかけてその場所に残ってきた生態系はレジリエンスが高いのではないか」という仮説を元に目標を設定するのは、賢明な態度だろう。歴史的な産物である地域の生物相と生物間相互作用を重視する。これは生物多様性保全そのものである。
生物多様性は、一週回ってふたたび「目標」としての価値を帯びてきた。
東邦大学で保全生態学を勉強している西廣淳のブログです。更新は断続的です。頻繁な情報発信はフェイスブックとツイッターでしております。 | Facebook https://www.facebook.com/jun.nishihiro | Twitter https://twitter.com/jnishihiro | 本業のウェブページ http://www.lab.toho-u.ac.jp/sci/env/coneco/
2016年7月20日水曜日
「どうするのがよいのですか?」その2
ヨシ原になればセッカ類やカヤネズミが暮らせるようになるがコウノトリは採餌できない。ヨシを刈り取って田んぼのような場所を作ればカエルが増えてひょっとするとコウノトリも来るかもしれないがカヤネズミは営巣しない。多様な生物の暮らし場所は(局所的には)両立しない。その場所で何を目標にするかによって最適な管理はかわる。
何を重視するか、つまり価値観は人によって違うし、同じ人でも受け取る情報によって変わる。絶対的な価値観はない。「生物多様性を保全する」も価値観のひとつである。
研究者も価値観をもっている。それを表明していけないということではない。自分の価値観であることをはっきりさせた上で、ということが重要だろう。研究者以外の人とはちょっと違う視点からの「意見」は役立つことも多いかもしれない。
しかしその意見の表明は、科学からの情報提供とははっきり分けられるべきだ。科学からの情報提供とは「○○をしたほうがいい」ではなく「△△な状態にするためには○○をすることが効果的だと予想される」という形でなされるものだと思う。この「・・ためには」の内容は、価値観のかかわる命題で、合意形成が必要な部分だ。(つづく)
2016年7月19日火曜日
「どうするのがよいのですか?」
いろいろな地域で、市民の方といっしょに休耕田に池を掘ったり、河川や水路の手入れをしたりする機会が増えている。そこでかならずいただくのは「草は刈ったほうが良いんですか?」「池は深いほうがいいんですか?」「川と池はつないだほうがいいですか?」という類の質問である。
このようなご質問をいただくと、わたしはいつも「どうしたいですか?」とうかがっている。どんな湿地にしたいかによって、管理の方針が変わるからだ。すると「それを先生が決めてくください」というお答えをよくいただくことが多い。「私たちは、言われたようにやりますから」といわれたこともある。
そうではない。自然再生の目標は科学では決められない。目標は、その場所の将来に興味のある人たちが相談して決めるものだ。科学にできることは、その目標を実現するに適切と思われる方法(順応的管理の出発点になる仮説)を提示したり、いまのままだと将来どのように変化するか予測することだ。
目標設定は、価値観のかかわる命題である。科学が答えをだすものではない。(つづく)
このようなご質問をいただくと、わたしはいつも「どうしたいですか?」とうかがっている。どんな湿地にしたいかによって、管理の方針が変わるからだ。すると「それを先生が決めてくください」というお答えをよくいただくことが多い。「私たちは、言われたようにやりますから」といわれたこともある。
そうではない。自然再生の目標は科学では決められない。目標は、その場所の将来に興味のある人たちが相談して決めるものだ。科学にできることは、その目標を実現するに適切と思われる方法(順応的管理の出発点になる仮説)を提示したり、いまのままだと将来どのように変化するか予測することだ。
目標設定は、価値観のかかわる命題である。科学が答えをだすものではない。(つづく)
2015年7月25日土曜日
もっと「使える」保全生態学を目指して
(以下、Facebook に投稿した記事の転載です。)
このたび、日本生態学会の雑誌「保全生態学研究」の投稿規定が改訂されました。今回の目玉は「投稿資格の変更」です。これまで、論文の筆頭著者が日本生態学会の会員である必要がありましたが、これからは「著者の一人以上が生態学会員であればよい」ことになります。
この変更は、「生物の保全にかかわる市民・NPO・コンサルタント・行政などの方が中心になって調査結果や活動成果をまとめ、研究者がそれをサポートして論文にする」という形を奨励する意図があります。保全生態学研究では、以前から、原著論文だけでなく、他の地域で参考になる取り組みを紹介する「実践報告」や、貴重な調査報告を残す「調査報告」といった投稿カテゴリーを設けていますが、今後はこれらの報告がますます活性化することを期待しています。「こんな記録をしているんだけど論文になるかな?」というご相談も受け付けております。
基礎科学は英語中心で発展していますが、応用科学では、多様な「現場の人」が使いやすい日本語の論文にも大きな価値があります。保全生態学をもっともっと「使える科学」にしたいです。
ちなみに応用生態工学会の雑誌「応用生態工学」も、先月から、「第一著者あるいは連絡対応著者(corresponding author)が学会員であればよい」という形に規定変更して、以前よりも門戸を広げています。
これらの分野では、わかったことを論文にして公の知識にする「公表の文化」、政策や戦略を策定するときは査読付き論文を活用して文書中に明示する「引用の文化」の両方がまだ未熟です。もっともっと読み書きをがんばりましょう!
保全生態学研究投稿規定はこちら
このたび、日本生態学会の雑誌「保全生態学研究」の投稿規定が改訂されました。今回の目玉は「投稿資格の変更」です。これまで、論文の筆頭著者が日本生態学会の会員である必要がありましたが、これからは「著者の一人以上が生態学会員であればよい」ことになります。
この変更は、「生物の保全にかかわる市民・NPO・コンサルタント・行政などの方が中心になって調査結果や活動成果をまとめ、研究者がそれをサポートして論文にする」という形を奨励する意図があります。保全生態学研究では、以前から、原著論文だけでなく、他の地域で参考になる取り組みを紹介する「実践報告」や、貴重な調査報告を残す「調査報告」といった投稿カテゴリーを設けていますが、今後はこれらの報告がますます活性化することを期待しています。「こんな記録をしているんだけど論文になるかな?」というご相談も受け付けております。
基礎科学は英語中心で発展していますが、応用科学では、多様な「現場の人」が使いやすい日本語の論文にも大きな価値があります。保全生態学をもっともっと「使える科学」にしたいです。
ちなみに応用生態工学会の雑誌「応用生態工学」も、先月から、「第一著者あるいは連絡対応著者(corresponding author)が学会員であればよい」という形に規定変更して、以前よりも門戸を広げています。
これらの分野では、わかったことを論文にして公の知識にする「公表の文化」、政策や戦略を策定するときは査読付き論文を活用して文書中に明示する「引用の文化」の両方がまだ未熟です。もっともっと読み書きをがんばりましょう!
保全生態学研究投稿規定はこちら
2014年3月23日日曜日
霞ヶ浦導水事業の検証報告書案へのコメント
利根川・霞ヶ浦・那珂川をパイプラインで結ぶ「霞ヶ浦導水事業」は、ダム事業の一つとして「事業検証」の対象となっています。国土交通省による「検証に係る検討報告書(素案)」への意見公募期間は終わってしまいましたが、これから検証結果とそれへの意見が公表され、継続の是非を議論する段階に入ります。
私は下記サイトにも掲載されている「霞ヶ浦導水事業の検証に係る検討報告書(素案)」へのコメントとして以下の内容を提出しました。
http://www.ktr.mlit.go.jp/river/shihon/river_shihon00000163.html
以下が提出したコメントです。
・異なる水系間の連結は、一方に侵入した外来種が他方に分布拡大するリスクをもたらす。外来種の中には農業や漁業に悪影響をもたらすものも多い。たとえば霞ヶ浦や利根川水系に近年侵入している外来植物ナガエツルノゲイトウやミズヒマワリは、強害雑草化し水田農業に被害をもたらす。また霞ヶ浦・利根川水系に蔓延しつつあるカワヒバリガイは、水路や水門等の機能不全をもたらす。今後、新たな外来種や現在認識されていない魚類への病原となる微生物などの移入により、社会・経済的な損失が生じる可能性は否定できない。これらは、流域内の溜池の活用のような水系を連結しない代替案では発生しない導水事業固有のリスクである。生物移入による社会・経済的損失が生じるリスクを最小化するための予防的な観点に立った方策を検討すべきであろう。
・霞ヶ浦や利根川水系で蔓延しつつある外来種カワヒバリガイが導水のパイプラインや途中の施設の内部に大量に付着した場合、施設の機能に障害がでることが予測される。カワヒバリガイが施設に付着した場合の除去の方策やそのためのコストを検討する必要がある。
・生物多様性に与える影響の評価が不十分である。導水に伴う環境改変(上記した生物移入だけでなく、工事に伴う改変や水質・水温が異なる水が流入することによる環境改変を含む)が地域の生物多様性・生態系にもたらす影響を予測し、代替案と比較する必要がある。導水により異なる水系を連結することは、地域の生物相や遺伝構造の改変をもたらす可能性が高い。報告書(素案)では表4.2-24、表4.3-63、表4.4-52において「環境への影響」が言及されているが、そこでの生物への影響についての記述はきわめて抽象的であり、代替案との比較ができる内容ではない。河川水辺の国勢調査など基本的な生物情報は存在するので、それらのデータを用いた解析を進め、具体的に検討して記述する必要がある。
・本資料からは利水参画者が提示した開発量の目標値の妥当性が判断できない。今後の人口や産業の動態予測を踏まえた妥当な予測になっているか検討するためにはより詳細な情報が必要である。資料で示された計画給水量を見る限り、直感的には過大評価と思われる値が多い。
・上記の通り、考慮すべきリスクやコストが十分に検討されておらず、また利水の目標についても疑問がある。本報告書からは、霞ヶ浦導水事業を、水質浄化と利水を目的とした事業として妥当であると判断することはできない。
私は下記サイトにも掲載されている「霞ヶ浦導水事業の検証に係る検討報告書(素案)」へのコメントとして以下の内容を提出しました。
http://www.ktr.mlit.go.jp/river/shihon/river_shihon00000163.html
以下が提出したコメントです。
霞ヶ浦導水事業の検証に係る検討報告書(素案)へのコメント
2014年3月12日
東邦大学理学部 西廣淳
・異なる水系間の連結は、一方に侵入した外来種が他方に分布拡大するリスクをもたらす。外来種の中には農業や漁業に悪影響をもたらすものも多い。たとえば霞ヶ浦や利根川水系に近年侵入している外来植物ナガエツルノゲイトウやミズヒマワリは、強害雑草化し水田農業に被害をもたらす。また霞ヶ浦・利根川水系に蔓延しつつあるカワヒバリガイは、水路や水門等の機能不全をもたらす。今後、新たな外来種や現在認識されていない魚類への病原となる微生物などの移入により、社会・経済的な損失が生じる可能性は否定できない。これらは、流域内の溜池の活用のような水系を連結しない代替案では発生しない導水事業固有のリスクである。生物移入による社会・経済的損失が生じるリスクを最小化するための予防的な観点に立った方策を検討すべきであろう。
・霞ヶ浦や利根川水系で蔓延しつつある外来種カワヒバリガイが導水のパイプラインや途中の施設の内部に大量に付着した場合、施設の機能に障害がでることが予測される。カワヒバリガイが施設に付着した場合の除去の方策やそのためのコストを検討する必要がある。
・生物多様性に与える影響の評価が不十分である。導水に伴う環境改変(上記した生物移入だけでなく、工事に伴う改変や水質・水温が異なる水が流入することによる環境改変を含む)が地域の生物多様性・生態系にもたらす影響を予測し、代替案と比較する必要がある。導水により異なる水系を連結することは、地域の生物相や遺伝構造の改変をもたらす可能性が高い。報告書(素案)では表4.2-24、表4.3-63、表4.4-52において「環境への影響」が言及されているが、そこでの生物への影響についての記述はきわめて抽象的であり、代替案との比較ができる内容ではない。河川水辺の国勢調査など基本的な生物情報は存在するので、それらのデータを用いた解析を進め、具体的に検討して記述する必要がある。
・本資料からは利水参画者が提示した開発量の目標値の妥当性が判断できない。今後の人口や産業の動態予測を踏まえた妥当な予測になっているか検討するためにはより詳細な情報が必要である。資料で示された計画給水量を見る限り、直感的には過大評価と思われる値が多い。
・上記の通り、考慮すべきリスクやコストが十分に検討されておらず、また利水の目標についても疑問がある。本報告書からは、霞ヶ浦導水事業を、水質浄化と利水を目的とした事業として妥当であると判断することはできない。
以上
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